数日後。
「お疲れ様でしたー」
「お疲れ」
アルバイトを終え、私服姿でベネットは喫茶店を出る。と、目の前に居た人物に驚いた。
「よう」
「……おっさん、ここ、従業員口なんですけど。待ち伏せだなんて趣味悪い」
「……話があってきた。行くぞ」
「はぁ?ちょっと、……痛っ、引っ張るなよ!」
「うるせえ、一体何時間待たされたと思ってやがる」
「知るかよ!第一、待っててくれって頼んだ覚えもない!」
腕を強引に引かれながら、ベネットはちらりとイワノフを見上げた。
煙草臭く、手が冷たい。どうやら本当に数時間という単位で待っていたのだろう。でも何故?いつものように店の中でろくに注文もせずにふてぶてしく居座ればいいのにと訝しむ。
「……で!?どこ行くんだよ!」
「お前の家、今日家族は?」
「いるよ、珍しく母さんが休みだ」
「じゃあホテルだな」
「ほ……、……っ!?離せ、何するつもりだ……!」
「ナニって、その反応だとお前もわかってんだろ」
ベネットは呆気に取られた。毎回毎回流されるような形で行為に応じてきたが、こんな強引なやり方は初めてだった。
そして腕を引くイワノフの表情が見えない。これはきっと、いつも以上に手酷いことをされるのだろうと内心で覚悟を決めた。
――ただ、連れられて行ったのは普通のビジネスホテルだった。受付でチェックインをさっさと済ませると、そのまま部屋まで引っ張られ、部屋のベッドにまるで鞄を放り投げるかのように乱暴に転がされて、ようやく手が離された。
「いっ、た……な、……なんなんだよ!」
シングルベッド2台の部屋だった。抗議のために顔を上げると、イワノフが向かいのベッドの縁に座っているのが見えた。
「……話がある」
「僕はあんたと話すことなんてないんだけど」
「ソフィアの件だ」
ベネットの動きが一瞬止まった。それをイワノフは見逃さない。
「……ソフィアが、何」
「お前、ソフィアに告白されて返事先延ばしにしたらしいじゃねえか。……ぶっちゃけどうなんだ」
「何、が」
「付き合うのか付き合わないのか、はっきりしろつってんだ」
「あんたに、……、……関係なく、ないか。一応父親だもんな」
「ああそうだ。それにソフィアはまだ未成年だ。……親権も俺にはもうねぇが、親として心配なんだよ。俺は」
「………………過保護」
「なんとでも言いやがれ」
ベネットは起こしかけたまま中途半端になっていた身体を改めて起こし、イワノフと向かい合う形でベッドの縁に座った。……適当な言葉で逃げることは許されないだろう。いずれにせよ、結論は出さないといけない問題だ。
「正直、今の時点ではなんとも。子供の頃のソフィアはよく知ってるけど、今のソフィアのことは僕はほとんど知らない。ずっと妹みたいに思ってきたから、……嫌いじゃないんだけど、恋愛対象として見れるかどうか、わからないって、……いうか」
「歯切れが悪いな。つまりアレか。ぶっちゃけ好きじゃないけど、勿体ねえからキープ候補に入れるのはアリだなってことか」
「なんでそんな解釈になるんだよ!?」
「じゃあもうちょっとソフトに言い直してやる。"まずはお友達から"……違うか?」
「…………」
「元々友達なのに友達からもクソもあるか。イエスかノーか、はっきりしろ優男。そんな中途半端なヤツにソフィアはやれん」
「…………っ、……僕は、……僕にだって、考える時間ぐらい……」
「考えた結果好きになるのか?お前はアタマで恋愛してるのか?考えるくらいならデートの1回でもしたほうが早いだろ。……あれから会ってもいないらしいじゃねえか」
「……僕にもソフィアにも、事情ってものがあるんだよ!脳筋で、後先も考えずにとりあえずヤっちゃうような最低人間のあんたにはわかんないだろうけどさ!!」
「――……ああ、そうだな」
イワノフの声のトーンが急に落ちた。更に怒鳴って畳み掛けてやろうと思っていたベネットも調子が狂って黙りこむ。
「…………自覚あんのか、最低だって」
「……あるさ。そこまで無神経じゃねえよ」
「性欲処理に男を犯してる男のどこが無神経じゃないって?」
「一応毎回ちゃんと同意は取ってるだろ」
「半強制みたいな同意ばっかりじゃないか……」
「………………」
「……何、急に黙りこんで」
不意に訪れた沈黙に、ベネットのほうが先に耐え切れなくなって口を開く。それからまた少しの沈黙のあと、なあ、とイワノフが口を開いた。
「俺が、……お前を愛しているから抱かせろ、俺のモンになれって。言ったらお前、どうする?」
「――――!?」
「……深く考えんな。仮に、だ。……お前をこれ以上困らせるつもりはねぇよ、ただの興味だ」
「…………興味」
「……ああ、興味だ。……なんだ?もしかして一瞬、本気で」
「ふざけるな!!」
言葉を遮るように怒鳴られ、イワノフは驚いてベネットを見上げる。見上げる形になったのは、激昂したベネットが立ち上がっていたからだった。
「…………なんで、あんたはそんなに、無神経で、平気で、……人のことなんてちっとも考えてなくて、最低で、下品で、クズで」
「……おい、どさくさに紛れて言いたいこと言ってねえか」
「そうやってくだらない茶々入れるところも大嫌いだ!!」
そのまま部屋を出ていこうとするベネットに、おい、と伸ばした手は振り払われる。
振り返ったベネットは、これまでに一度も見せたことがないような、拒絶の表情をしていた。
「――あんたとの関係も、今日限りだ」
「なん、……?」
「もう、僕に触らないで、話しかけないで。……これ以上あんたと関わると、……僕は、……!」
ベネットが部屋を飛び出していく。イワノフは慌ててその後を追おうとした。
「……おい、ベネット!待て!!」
「お客様?大きな音がされたようですが、どうされまし、……っわ、」
「っ、……たた」
だが、怒鳴り声を聞きつけたホテルの従業員と丁度鉢合わせてぶつかってしまい、はっ、と気づいた時にはベネットはもう廊下の向こうへと消えていた。
走ればまだ間に合うかもしれない。けれど、拒絶されたことを思い出してしまえばもう足は動かなかった。
「――っ、……は、……あれ、開かな……母さ、……母さん?」
「……あれ。ベネットお兄ちゃん?どうしたん、……ですか?」
ベネットはそのまま走って自宅前まで戻っていた。追いかけてこない。……そう、それが結論。自分が拒絶したのだから、仕方のないことだ。
だからそのまま部屋に戻って朝まで眠ってしまいたかったが、問題が起きた。……勢いで飛び出してきたせいで、ホテルに鞄を忘れてきた。その上、家の鍵が開いていない。呼び鈴を鳴らしても、いる筈の母親は出てこず、扉を叩いていたところで隣家のソフィアがその様子に気がつき、駆け寄ってきた。
「…………お兄ちゃ、な、なんで、」
「……鍵、落としちゃって。それはしょうがないけど、玄関が開かないんだ、母さんがいるはずなんだけど……」
「おばさんなら、ついさっき急な仕事が入ったみたいで出かけてました、けど、……それよりベネットお兄ちゃん」
「仕事……?ああ、トラブル対応かな……こうなると朝まで戻らないんだよなあ。どうしようかな、財布も落としたし」
「ベネットお兄ちゃん!! ……ねえ、なんで、……なんで泣いてるんですか?」
「――え?」
ぽたっ、とコンクリートの地面に水が染みる。
一度泣いていることを自覚させられてしまえば、もうそれは止まりそうになかった。
「――――……っ、……!!」
「お兄、……っ、え、えっと。とりあえず、家に来てください。おばさんが帰ってくるまで、いくらでも居てくれていいですから……」
「……23時、かあ」
ソフィアはぽつりと呟いた。ベネットを家に迎えてからかれこれ4時間が経っている。ベネットの言った通りベネットの母親は帰ってこないし、それどころか、自分の父親も昼間ふらっと出かけたきり帰ってこない。溜息を吐いた。
「もう。……なんで出かけるのに携帯忘れていくのかな、パパ」
この街に戻ってきたときもそうだった。バスに乗り遅れたことを父親に連絡しようとしたのに、いくら電話しても出ないのだ。それが、父親が携帯を持っていなかったからだと知ったのはつい最近のこと。持ち歩かない携帯に、何の意味があるのだろう。
待つしかない。理由も話さないままにずっと泣き続け、そのまま疲れて眠ってしまったベネットの肩をそっと撫でながら、ソフィアは居間の時計をぼうっと見上げていた。
自宅の電話が鳴ったのは、それからまた更に10分ほど経ってからだった。
卓袱台に突っ伏して眠るベネットを起こさないように静かに歩いて廊下に出て、受話器を取る。
「もしもし?……パパ!?今、何処にいるの!?こんな時間まで何してるの!?」
『いや、悪い。ちょっと酒飲んでて……寝てた。連絡せずにすまん、今日は泊まる』
「泊まるってどこによ!もう、パパのバカ!ベネットお兄ちゃんも来てて、今大変なのに……!」
『……ベネットが、家に来てるのか?』
「うん、鞄無くしちゃってお家に入れないんだって。おばさんも今いないし、連絡しようにもお兄ちゃん携帯も持ってなくておばさんの携帯番号わからないって……」
『……そーか。じゃあ、朝までゆっくりだ』
「なっ、何言ってるのよパパ!!それどころじゃないんだってば!……お兄ちゃん、何かあったみたいでずっと泣いてたの。でも、わたしが聞いても何があったか話してくれなくて……。……お願いパパ、帰れるのなら帰ってきて。パパのほうがお兄ちゃんと仲良しでしょ?……お兄ちゃんの力になってあげて!」
『…………』
「……パパ!」
『……わかった、帰る。20分くらいで戻れると思う』
『ありがとう、パパ!』
イワノフは部屋の電話を切り、ふう、と息を吐いた。
ベネットが出ていったあと、ルームサービスのヤケ酒を飲んで寝て起きたらこんな時間だった。娘に心配を掛けてはいけないと電話をしたはずが、どうやら知らない間に更に何かがあったらしい。
「鞄……、これか」
ベネットが座っていたのとは反対側のベッド下に落ちていた鞄に、何故こんなところにと首を傾げる。少しして、ベネットをベッドに放った時に落ちたのだと気づいた。
中には家の鍵、携帯、財布、それから暇つぶしに読むのだろう文庫本が入っていた。これは返さねばなるまい。
会計を速やかに済ませ、家への道を行く。
「…………泣かせちまったのか、俺は」
泣いたのなんて、何度も見たことがある。だけど、ずっと泣いていたとソフィアは言っていた。そんなに辛かったのか。苦しめてしまったのか。今更のような後悔が、足取りを自然と重くしていた。
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