「あの」
「……あン?」
「いい加減帰ってくれませんかね、お客様?」
「お前なあ、客に向かってなんだその口の聞き方は」

ここはとある喫茶店。
張り付いた笑顔をひくつかせながら机に手をついている若いエプロン姿の店員と、それをまるで意に介さないような様子で漫画を読んでいる立派な髭を蓄えた中年の客がいた。

「コーヒー一杯で何時間居座る気ですか」
「一杯じゃねえよ、ちゃんとお代わりしてるだろうがよ」
「……うちの店がコーヒーお代わり無料だってわかってて言ってますよね?」
「知ってるよ、じゃなけりゃお代わりなんざしねぇよ」

ずず、と音を立ててコーヒーが啜られる。

「む、無くなった。お代わり」
「お断りします」
「んぁ?なんでだ」
「ラストオーダーの時間、過ぎてますんで」

髭の男が時計を見やれば、なるほど。夜も遅い。
そして周りに居たはずの他の客もいつの間にか皆いなくなっていた。道理で、と口の端を上げる。

「……とても客相手とは思えねぇ話ぶりだったからびっくりしちまったじゃねぇかよ。なんだ、二人きりなら寧ろいつも通りでよかったのによ」
「ふざけないでください。僕は勤務中ですし、あなたは客です」
「やれやれ。勤務中ならちょっとは愛想あるかと思えばこれだ」
「生憎、あなた相手に振りまく愛想なんて欠片も持ち合わせていませんので」
「スマイル0円」
「当店では取り扱っておりません。カップお下げしますね」

つん、とした態度で店員がカップを下げて厨房の奥へと引っ込んでいく。
やれやれと髭の男は肩を竦めた。
この青年と髭の男は初対面ではない。隣の家に暮らす間柄で、髭の男にとっては赤ん坊の時からずっと成長を見てきた相手だった。

「昔は短い腕ばたばた振って駆け寄ってきてイワノフおじちゃーんって、可愛かったのになあ。それが今じゃあんな無愛想に育っちまって……どーしてこうなったんだか」
「あんたみたいな駄目なおっさんが隣に住んでたら嫌でも真面目に生きようって思うようになるよ」
「……んん」

再び戻ってきた青年は、手に水の入ったバケツとモップを持って男のいるテーブルの前に仁王立ちしていた。

「もう閉店時間。あとは掃除して帰るだけなんだからさっさとお金払って出てってくれる?邪魔」
「…………あん?他の店員は?」
「皆帰ったよ、今日は戸締り僕がやることになってるから店長もさっき帰った。……そんなことどうでもいいだろ。早く代金払って、……なんだよ」
「いや。……改めて見ると、その制服似合ってるなって」
「馬鹿なこと言ってる暇があったらお金」
「なんというか腰のラインがこう……白いエプロンからちらっと見える黒いズボンがたまらん」
「ふざけるのもいい加減に、っ!」

髭の男が伸ばした手が青年の腰に触れる。それに驚いた青年が慌てて避けようとしてバランスを崩し、床に尻餅をついた。
少し遅れて、バケツの水も派手な音を立てて床にひっくり返る。

「っ、痛……」
「おお、おい、大丈夫か?」
「触るなこの変態ジジイ!いい加減に」
「こら暴れるな、ズボンが余計に濡れるぞ」
「誰のせいだと、思って……!第一もうとっくにびしょ濡れだ!」
「だったらさっさと脱いで乾かせ、ほら。手伝ってやるから」
「やっ、やめろ!」

じたばたと青年が暴れるせいで余計に水がはねて髭の男の腕にまで掛かる。
どうせ他に見てるやつなんざいないのだからと妙な宥め方をしながら髭の男は青年を見た。
ふと、悪戯を思いついた子供のようににやりと笑うと、青年のエプロンの前を捲り、ズボンのベルトに手を掛ける。

「……!?どこ、触ってんだ変態!」
「どこって、ベルトだが?」
「…………そこ、違う、だろ……っ……、やめ……」

ベルトを緩めるふりをしながら、掌や指先で意地悪く青年の下腹部を撫で、弾いて遊ぶ。やがてそこに先程までなかった膨らみが見えると、髭を撫でながら更にいやらしい笑みを浮かべた。

「さあて、ベルトは緩めたぞ。俺もここで脱がしてやるほどお前を子ども扱いするつもりはないからな。さっさと奥行って着替えてこい」
「………………っ」
「んん?どーした?立てないのか?立てないならしょうがない、俺が脱がしてやるかねえ」
「さわんな、っつってんだろ、このくそジジイ!!」
「うおっと」

青年が怒りに任せて蹴りを入れようとする。だが、それはあっさりと受け止められた。
このタイミングでの反撃は読めていたのと、体勢と体格の差だ。
受け止められた足を更に大きく広げられ、青年の顔に怒り交じりの朱が浮かぶ。

「もう諦めろよ。初めてじゃねぇんだしよ」
「……くそジジイ、……っ」
「それに、昔っからそうだったじゃねぇか」
「…………」



「どんなに強がったって、お前は俺にゃ勝てねぇんだよ」




「い……やっ、め……」
「こんなに硬くして何が嫌なんだ?ん?」
「さい、ってい、だ……店の中で、……っく」
「汚れたら掃除すりゃいいだけだろ。どうせもうこんなにびしょびしょなんだしよ」

下肢を執拗に手で愛撫され、青年が声を漏らす。ズボンは下着ごと膝まで下ろされ、白いエプロンと対になるような黒いワイシャツは胸元まで捲りあげられていた。
対する髭の男は少しも脱いでおらず、それが余計に青年を苛立たせる。自分だけがいいようにされているのが腹立たしい。

「強情だなあ、もうイっちまえよ。限界なんだろ?」
「……っ、……ふん。誰があんたの手でイくかよ、くそったれ」
「…………素直になりゃ楽になるのに、どーして毎回意地張るかねえ……」

先走りで濡れた指が奥の孔を目指して動く。押し入ってくる太い指に、青年の喉から堪え切れなかった喘ぎが漏れた。それに気をよくしたのか男は目を細めて笑う。

「いやあ、実にエロい構図だな。AVのジャケットに使えそうだぞ。写真撮るか?」
「ばっ……!?馬鹿なこと言って、ん、な、くそじじい……!僕は、男だ、……っあ」
「男に指突っ込まれて泣いてる癖によく言うなあ」

奥を簡単に解し終わると男は指を引き抜き、両手の親指と人指し指で四角を作る。
カメラの被写体を見るように、その四角の中に乱れた青年の姿を収めながらいい眺めだと笑った。
青年の頬が怒りと羞恥で赤く染まるが、気に留めた様子もない。

「……っ……く……」
「どうした?」
「み、るな、変態じじい……っ」
「と言われてもな。お前のここは見てほしそうにひくついてるが?」
「見てほしいわけじゃ、ない……っ」
「じゃあ、どうしてほしいんだ?」
「どうも、して、ほしくない!早くどけよ!」
「どいたら俺ぁさっさと帰るが、その状態で一人で掃除して帰れるのか?」
「…………るさい」
「それとも、誰も居ない店で一人で抜くか?前も後ろも一人で処理して……」

再び男の指先がひくつく孔の入り口に触れる。奥には進まず、周りを撫でるだけの動きだったが、それだけで青年の身体が跳ねた。

「んぁ…………っ、く」
「これだけでこんなに腰揺らして……。もう素直になっちまえよ」
「……っ、ん、……素直に、なったらいいのは、あんたのほうだろ……」
「あん?」
「んな、……こんな、自分のガキぐらいの年齢の男の尻にさ……、挿れたい、んだろ、認めろよ変態」
「ふん、言うようになったじゃねぇか」

男が自らのズボンに手を掛け躊躇いもなく下肢を晒す。突然の行動に青年は驚き、動けなくなった。硬くなったそれから目をそらせない。

「…………ほら、やっぱり、……勃ってるじゃん。ヤりたいなら、あんたからヤらせてくださいって頭下げるのが筋だろ。……頼まれても断るけどさ」
「いいや?俺はこのままお前の顔や制服にぶっかけるのも悪かねぇって思ってるぜ?お前の心底嫌そうな顔が見れそうだしなあ」
「…………い、っ、……嘘つくなよ。それでいいんなら、……あっ、く……、僕に触る必要、ないっ……」
「触ってやったほうが反応して楽しいからだぞ?俺は挿れたいなんて一言も言ってねえ」
「んんっ、っ、……は、やめ、て……!」

再び指先を軽く埋める。先程よりずっと浅い挿入だったが、青年の身体が跳ね、腰が揺れた。
奥へ奥へと呼びこむように男の指が締め付けられ、切ない喘ぎと共に青年の苦しげな瞳が男を見る。

「人差し指ちょびっと入れただけじゃねえか。それだけでこんな……お預け食らったのがそんなに辛かったか?」
「ちが……違う、っ、僕は……ぁ」
「……どうしてほしい?」
「嫌、っ……」
「このまま自分で腰振って、俺の指だけでイくか?足りねえだろ?」
「――っ……く…………い、やだ……ぁ」
「何が嫌だって?」
「ひあっ、あ、……っあ、や」
「ほら」
「や、嫌、……いや……だ……」
「言えよ、ちゃんとな」



「い、…………。……いれ、て、いかせ、……て……くださ……」


「よく言えたな。そうら、ご褒美だ」






二人きりの店内に青年の嬌声が響く。最初の頃は痛いと泣くこともあったが、今はもう、こうして意地悪く焦らさなければ泣かせることもできなくなった。
隣の家に住むおじさんと子供。その関係が変わってきたのは丁度去年の今頃からだった。
青年の進学祝いに景気付けのつもりで酒を盛ったら翌朝まで綺麗さっぱり記憶が飛んでいた。そして、同じベッドの中にはぐったりした様子で眠っている裸の青年がいて。
あのときの衝撃を、男はきっと一生忘れないだろう。

「く、っ、…………ベネット……、お前の中、やっぱりイイ、な……」
「なに、馬鹿な、こと言って、――んん……っ」
「……ここか?」
「あ、――っ、く!そこ、だめ……、イきそ……」
「我慢するな、イっていいぞ」

奇妙な関係だよなと男は思う。青年は抱かれるのを嫌がるが、抱かれてしまえば行為そのものは受け入れているようだった。
きっと元々男が好きな性質だったのだろう。だからそこに愛がなくとも快楽を受け入れているのだと、抱かれる前の抵抗は、やはりまだ同性と行為に及ぶことを理性では許していないのだろうと男は思っていた。

「あ、……ああっ、だめ、イく、おじさ、イワノフおじ、さ…………つっ……!!」

青年は本心を語らない。
上辺で抵抗し、悪態を吐き、嬌声を漏らし、腰を揺らしても。

「――――……」

その一言だけは絶対に口にしなかった。




「…………帰って」
「……ん」
「掃除して、戸締りするから、帰って」
「……送っていかなくていいのか?」
「女の子じゃないんだから要らない、いいから帰って、今すぐ!」
「……んん、わ、悪かった悪かった。次はちゃんとブランチも頼むから許してくれよ」

青年は行為の後、床に座り込んだまま衣服も整えずにずっと男に背を向けていた。そんな青年の機嫌を少しでも取ろうと男は青年の頭を軽く撫でる。その手はすぐに払われた。
やれやれと肩を竦め、男はテーブルに硬貨を置いて素直に店を後にした。いつものことだ。しばらくすればまた元に戻る。そう知っていたからこそ、素直に店を出たのだ。
唇を噛み締め、今にも泣きそうな青年の表情に気づいていればまた違っていたかもしれないが、今回は、いや、今回も男がそれに気づくことはなかった。

「…………なんで、こんな、いいようにされて、なのに僕は……っ」

震える声を吐き出す。誰も聞いていなくとも、その言葉を口にすることは青年にはできなかった。
あの夜から自分の気持ちには気づいている、だけど認めたくない。認められない。認めたところで、何にもならないからだ。
男には今、妻も子もいない。だからと言って自分が代わりに妻や子になることはできないのだ。

何にもなれない、なのに感情だけが先走って青年を苦しめる。
終わればいつも後悔するのに、刹那を求めずにはいられない。


ずっと、ずっと、――――。





胸に留め置けないくらいに膨れ上がった感情を、青年はひとりきり店の中でただただ零し続けていた。










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