そのまま俺はベネットの家に居候を続けることになった。
あの女の死のほとぼりが冷める頃にヨーランダにも協力してもらい、偶然村に辿り着いた旅人という形で他のニンゲンにも紹介された。




「……女たちが若い男が来たときゃあきゃあ騒いでいるぞ」

とヨーランダが俺に言う。
煩いだけだと思った。
実際、あの黄色い声は集団になるとかなり煩い。

「それから、村長が感謝していたぞ」
「何にだよ」
「お前が来てくれたお陰でソフィアが死んで暗くなっていた村が活気を取り戻したと。……ベネットも元気になったようでよかったと言っていたぞ」
「はっ、……その女を食い殺したのは俺だってのに。めでたい連中だぜ」



[Re:今宵、あなたと血の宴を]



扉を開けて、靴を脱いで、扉を閉める。

「…………」
「おかえり。今日は何貰ってきたの?」
「…………アップルパイ」
「へー。いいじゃない、美味しそうで」
「林檎より血肉のほうがうめぇよ」


というか、人の食い物は総じてマズい。
俺はそれを開けることもなく屑籠に投げ捨てた。それにベネットが肩を竦める。

「勿体無いなあ。僕にくれればよかったのに」
「捨てる前に言えよ」
「いつもいってるじゃないか、もう」

ベネットは笑う。
その手には赤い本。――約束をしたからと、翻訳作業を張り切っているらしい。


「……つか、まだやってたのかよそれ」
「それ?…ああ、うん。……だいぶ進んだんだけど、最終章をどう訳すべきか迷っててね……。ここはもう、僕の語彙力不足なんだけど」



そしてベネットは進んだらしい物語の翻訳を少しずつ俺に語る。
……正直、最初のほうなんてもう覚えていない。
それでも覚えてないと主張するとじゃあまた初めから、と言い出して、しかもそれがかなり長いので面倒くさい。だから、覚えていなくても分かっているふりをする。


「……そこで君は言った。……さっきも言ったのに、あなたは本当におばかさん!」
「……さっきってなんだっけ」
「え?ここ昨日読んだ部分なのにもう忘れちゃったの?……あんなにベッドの中でたっぷり教えてあげたのに」
「――つっ…! お、お前くそ野郎!!変態っ、死ね!」
「あはは、テッドに殺されるなら本望だねえ」


――月の満ち欠けに関係なく、夜中に……妙なことをされるのも1回や2回じゃなくなってきた。
段々身体が慣れてきてしまっているのが悔しい。なんでこんな女みたいな屈辱的な扱いを受けないといけないのか、すごくイライラする。

でも今はまだ我慢。
……目的はひとつ。こいつを殺すためだ。


新月までもう少し。
そう思って、今は耐える。

新月の晩ならば、一匹狼も狼の力を振るえない。






―― 九の月の新月 ――



夜、台所からナイフを取る。
新月の夜はあいつが人狼の力を使えないのと同じように、俺も人狼の力を使えない。だから人の力で殺すしかない。
ナイフを背中に隠して、静かに扉を開ける。
いつかと同じように、あいつは本の上に突っ伏して眠っていた。


――本当に、馬鹿な、やつ。
それだけ思う。余計なことは考えるな。これ以上は、もう。


俺はナイフを振り上げて――…。




あいつの翡翠の瞳と、目が、合った。







「――馬鹿な子だね」


翡翠の瞳が歪み、……それは笑みの形を取った。
一瞬で全身の血の気が引いていく。だけど、もう今更怯むわけにはいかない。
振り上げたナイフをそのまま突き立てようと力を篭める。

だが。


「……っ!?」
「…………新月の夜。テッドが僕を殺すなら、このタイミングしかないだろうってことはわかってたよ」



だけど本当に来るとはね、とベネットは言う。
ナイフはあっさりと避けられ、そのまま床へと倒された。
上に伸し掛られて首を絞められ、声が出ない。

「どうせ、ヨーランダから聞いてるんだろう?……僕が一匹狼だってこと……人狼は一匹狼には勝てないってこと。
 なのにどうして、こんな馬鹿なことをするのかな?」
「――いっ、……ぐぅ……あ……」
「……ちゃんと教えてあげなきゃだめかな? ほら、そんな物騒なもの、捨てちゃいなよ」


貸して、とベネットがナイフを俺の手から取り上げる。
そのままそれで、線を引くように俺の服を縦に破いた。

「おとなしくしてないと、このままうっかり肺まで突き刺しちゃうかも」
「ぐっ……、そ、やろ……!!」

また勝てない。
また犯される。それどころか、今度こそ殺されるかもしれない。だったら、道連れにしてでもと俺はいちかばちか、ナイフに手を伸ばした。
ベネットの驚いた顔が見えた。ベネットはナイフを持った手を引いたけれど、その手首を俺が掴むほうが早かった。
両手が空いている分、その瞬間は俺のほうが有利だった。手首を掴みながら空いた手でナイフを取り返すと、そのままベネットの身体に突き刺す。
だが、更に手を叩かれて抵抗され、狙いは外れた。下腹部を狙っていた刃先は、足の付け根へとそれる。


「っあ!!」
「ぐ……っ、ぁ」
「――やって、くれたね。……ふふ。お返しにいつもより痛くしてあげる」
「――っ、は、……ぁ、く」

もう一度。もう一度刺そうと両手に力を籠める。
だけど指先が痺れていって、やがてその感覚すら遠くなって、ナイフが手から滑り落ちた。
苦しい。
息ができない。
もがき喘いで開いた口の中に、指が入れられる。指先から血の味がした。
だけど、俺が知っている甘くて美味しい人間の血の味じゃなく、同胞の、とても不味いそれだった。

「脚、痛いなあ。血も出ちゃった」
「…………っ、……か、…………」
「息できない?苦しい?涙目になってるよ?」
「――ぁ……な、せ……!」



「でもこれからもっと痛くて苦しいことするんだから頑張ってよね?」



ぷつっ、と、肌が裂ける音がした。胸の上を、血が流れていって。


「――っ、げほっがはっ、が、……っ……、え、な、何、を、……やめっ!」
「ほうら、ちゃんと息できるようにしてあげたんだから、……いっぱい鳴いてよ……?」



「い、……っ、ぐ、――あああああっ!!?」



月の無い夜。暗闇の中で何度も何度も、叫びと絶望を、俺は吐き出した。









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