「改めて名乗ろう。私はヨーランダ。ヨーラでいい。貴方は」
「……テッド」
「そうか。テッド。単刀直入に聞こう」
「――ソフィアを食い殺したのは、貴方か」
[Re:今宵、あなたと血の宴を]
「っ!」
いきなり事実を言い当ててきたヨーランダにテッドは動揺し、先程腰掛けたばかりの椅子から立ち上がった。
ヨーランダはそれを一瞥すると、先ずは座れとテッドに落ち着くように促した。
「そんなに驚くな。……私とて貴方の同胞だ。いくら身を清めようとこれだけ血の匂いが残っていれば解る」
「同胞……?ということは、お前も…」
「ああ。――寧ろ。同胞なのに何故先程から私の声を無視するのか聞きたいのだがな」
「声?」
「聞こえていないか?先程からずっと呼びかけているのだが」
「……いや」
「…………。……そうか。貴方は…黙狼なのだな。…耳にしたことはあるが、実際に会ったのは初めてだ」
「…もく…ろう?」
「聾唖の狼のことだ」
ヨーランダは席を立ち、沸いたお湯で茶を淹れる。
甘い香りがあばら屋の中に広がった。
「………」
「……通常、人狼は人間に悟られぬように人狼同士にしか聞こえない言葉を使う。……それは、親や仲間から自然と学び、身につけていくものだ。人の子がそうするようにな」
「…………俺はそんなのは知らない」
「恐らくは教わらなかったというだけの話だろう。他の人狼と生活を共にすれば使えるようになるはずだ。見たところまだ若い狼のようだしな」
「若いとか、てめーに言われたくないぜ」
「ヨーラと呼べ。…若く見えるか、それは世辞でも嬉しいな。……実際はもう半世紀近く生きているぞ」
「はんせいき……えっと、十、二十…」
「…五十年、だ」
「う、うそだろ…」
「若い娘に化けることなど造作も無い。……それにしても先程は随分と物欲しそうに見て」
「と、ところで!人狼が複数集まった時には"血の宴"をするって母さんから聞いたことがあるんだが!」
テッドがわざとらしく話をそらす。
それをさして気にした様子もなくヨーランダは頷いた。
「血の宴。…狩りという者もいる。騒動という者もいる。とにかく、村に狼が集まればそこには死体の山ができる。…それは確かにそうだ」
「………」
「…だが。私は宴を開く気はないよ。さっきも言ったとおりなりはこんなだが齢老いた身。毎晩暴れまわって処刑を避けながら村の者を殺しまわるだなんて、できやしない。……長いこと、村の人間や旅人の屍肉にありついて生きてきた。私はこれでいい。それに」
「…?」
「この村には、人間以上に厄介な奴が住んでいる」
―― 八の月の十六夜 ――
「嘘よ、嘘よ!ソフィア…ソフィアぁ――!!」
村長アルフレッドの言葉に、アイリスはその顔を手で覆い泣き叫んだ。
「……残念ながら、あの遺体がソフィア君である可能性は非常に高い」
アルフレッドが医者のスティーブンに話を促す。
スティーブンは少し躊躇いがちに口を開いた。
「…はい。野犬に食い散らかされて死因が何なのかも特定できないような状態でしたが…。……骨格から、若い女性であることは確かです。そして…ソフィアさんの姿が今朝から見られないことを考えますと……」
アイリスが聞きたくないという風に耳を塞いで首を振る。それ以上はスティーブンも続けなかった。
村の人間たちが不安気に顔を見合わせる。森に野犬が住んでいることは知っていたが、所詮は犬だとあまり気にしてもいなかった。
可愛いからと餌をやりに行っていた村人もいるくらいだ。
それが、村の娘を食い殺すだなんてと。
「…本当に、野犬に殺されていたんですか…」
「……わかりません。何らかの原因で死亡した後に死臭に誘われて犬がやってきただけかもしれません……。もう、誰かも判別できないような状態ですので…そこは何とも…」
ベネットは、その話を焦点の合わない瞳で聞いていた。
最初こそ何人かが何かの間違いだとか、なんだかんだ言って励まそうとしていたが、そのただならぬ様子に段々と誰も声を掛けられなくなった。
「………………」
村の人間の間では、ベネットとソフィアは恋仲ではないかと噂されていた。
その相手が突然あんな姿でこの世を去ってしまったのならば、その悲しみは計り知れないだろう。
そう考える村人が殆どだった。
「――ベネットを知っているのか、なら話は早いな」
「教えてくれ、あいつは……あいつは何者なんだ。満月の晩に力を振るう、…あれは人狼だ。だけど、…何か違う。何なんだ、あいつは…!」
「…………一匹狼。人狼の規律(ルール)から外れた、ならず者……いや、異端の狼…と言うべきか」
「一匹狼……」
テッドが繰り返した言葉に、ヨーランダは頷いた。
「一匹狼は、人狼すらも喰らい、決して他の人狼とは馴れ合わない。ベネットにとっての狩りは皆殺しと同義だ」
「…………………」
「…もしこの村で血の宴をするのならば、人間の吊縄だけでなく、あいつの牙からも逃れねばならない。……そして私たちはあいつを殺せない。並の人狼が二匹掛かりでも殺せないのが一匹狼というものだ」
神妙な顔つきでヨーランダが言う。
「厄介だぞ。対抗手段はせいぜい私たち人狼が協力しあうことだが、囁きの使えない貴方と老いぼれの私が人間たちに悟られずに協力するのは難しい」
「……つまり、この村で血の宴を始めるのは無謀だ…ってことか?」
「話が早くて助かる」
ヨーランダは一つ息を吐いた。
そこでふっと表情を険しくする。
あばら家の外が騒がしくなったからだ。
隠れろ、とヨーランダが目線で戸棚を示す。人間に見つかるのは得策ではない。テッドは頷いてその中に隠れた。
やがて、ノックの音。テッドが戸棚の隙間からそちらを見ると、髭を蓄えた中年の男――村長アルフレッドが立っていた。
「ヨーランダ君、おはよう。身体の調子はどうだい?」
「お陰さまで……今日は散歩にも出られそうです」
「散歩……うん、そうか。…実は……暫く散歩は控えてほしいんだ。なるべくね」
「どうしてですか……?」
「実は………先程、若い女性の遺体が見つかった。恐らく、……今朝から姿が見えなくなっているソフィア君ではないかと…」
「嘘……!」
たいした演技力だ、とテッドは思った。
先程ヨーランダはソフィアを殺したのは貴方かとテッドに言ってきたのだ。つまり、知らない筈はない。
なのに、いかにも今知りましたというように驚いてみせる。わざとらしくなく、自然に。
「あ…その……。…もしかして、御用は…」
「うむ……。まずこれを君に知らせることと…彼女の墓を君の管理する墓地に作りたいというお願いだ」
「あの土地は私のものではありません、村の共同のものです。私の許可など得ずとも……」
「いや、そういうわけにもいかないだろう。あの土地が村のものでも、墓の手入れをしてくれているのは間違いなく君だからね」
「……はい。ありがとうございます…」
それからまたいくらか話したところでアルフレッドと後ろにいて黙っていただけのスティーブンが去っていった。
ヨーランダがもういい、と言うと、テッドが戸棚から出てくる。
「お前、病弱だったのか?」
「嘘だ。齢老いているが、健康そのものだよ。ただ、病弱と言っておけば不必要な干渉を避けられる」
「なるほど……」
「……。…夜になるまで暫く此処に隠れていたほうがいいだろうな」
「何でだ」
「たわけ。村に死人が出た。見知らぬ者がいる。――怪しまれるに決まっている。見たところ、嘘は下手そうだしな。貴方は」
「………」
「正直なのは悪いことではないさ。ただ、人狼としては生き辛いだろうな。今まではどうやって生きてきたんだ?」
「…旅人を食ったり、動物を食ったりしてた」
「ならばこれからも暫くはそうしていてくれ。……この村は居心地がよい。流れ者に滅ぼされてはかなわんからな」
「………。この村に来てからこんなのばっかりだな、隠れてろとか。…そっか、あいつ俺が人狼だってわかってたから外に出したがらなかったのか…」
「あいつ?…ベネットか?……奴が人狼を匿うとは興味深い。少し聞かせてはくれんか。……なに、茶菓子位は出す。夜までの暇つぶしにどうだ」
「――いいよ」
ベネットは掛けられた言葉に首を振った。
「この距離だもの、一人で帰れる。……本当は女の子を送っていかないといけないのに。ごめんね」
「いいんです、ベネットさんはゆっくり休んでください……」
結局、それ以上そこにいても何もならないということで一度解散となった。
まだソフィアの遺体とは確定していない。何かの間違いだと誰もが口にした。
だがそれが気休めの嘘にしか過ぎないことも皆知っていた。
ベネット本人は、言うまでもない。
「――ただいま」
しん、とした家にベネットは帰る。
玄関を見れば、一足足りない靴。
台所の鍋には手付かずのまま冷めたスープ。
そして空っぽになったベッド。
「……そりゃ、出ていくよねえ」
ベネットはくすりと笑みを浮かべた。
自分が何をしたか。覚えていないわけはない。
あれだけ執拗に一晩かけて犯したのだ。
――普通の神経があれば逃げるだろう。それくらいは予想していた。
けれど。
「また、独りかあ…」
テッドが使っていた空き部屋のベッドにごろりと横たわる。
自分を兄のように慕ってくれていたソフィアはいなくなった。
そのソフィアを食べたテッドも自分の前から去っていった。
「……………」
誰もいない。
孤独を招いたのは間違いなくベネット自身なのに、久し振りに寂しいと感じた。
「誰かと一緒に暮らすなんて、…本当に久しぶりだったからなあ」
まだ微かに温かみの残るシーツに包まって目を閉じる。
その温もりは少しずつ自分の体温で上書きされていくけれども。
もう少しだけ。
あと少しだけ。
離れられずに、やがてそのまま眠りに落ちた。
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