[Re:今宵、あなたと血の宴を]



「――美味しい?」

その声に俺は弾かれたように振り返った。
薄暗い中、ベネットの姿が月明かりで辛うじて見える。
階段の二段目に腰掛けて、いつもと同じように笑う……。

……同じ、ように?
知り合いが目の前で喰い殺されて、犯されているのに。
こいつは……笑っているのか?

「ねえ、テッド。ソフィアの肉は美味しかった?」

「……っ…!」


感じたのは底知れない恐怖。
こいつは、…こいつは何かがおかしい。そう本能が告げる。
逃げよう。玄関は開いている。立ち上がって、走れば人間の足では追いつけないはず。

なのに。
――どうして、一歩も動けない?


「そんなに怯えないで…。感想を聞いてるだけなんだから…」
「…く、るな。お前も、殺すぞ…!」
「………殺せるものなら…殺してごらんよ」
「――っあ!」

強い力で押し倒される。床で頭を打たなかった代わりに、ぐじゅり、と俺の頭が女の腹があった辺りにめり込んだ。

「うっかり寝ていた僕も悪いんだけどさ」
「は、な…せ…!」
「今日この日をずっと楽しみにしてたのに。……どうして先に食べちゃうのかなあ」
「―――!」


俺の顔を覗き込む瞳は、いつもと変わらない。
少し垂れ目がちで、柔らかい印象のそれ。
だけど――…。



どうして今まで気づかなかったんだ。

こいつは。こいつは人間じゃない――!


「い…っ、…や、めろ、さわ、んな…!」
「ソフィアの血は甘いんだね……。ここにもついてる。…あちこち汚して、行儀が悪いね」
「…や……っ!」


ゆっくりと肌の上を舌が這う。
女の返り血を舐めとって、ベネットは笑った。

「――ソフィア…」
「…く、……っ…!!」


全身を這う舌が、視線が、手が気持ち悪かった。
何度逃げようともがいてもベネットのほうが力が強くて、全く思うようにいかない。
俺が暴れるたびに血が跳ねて、その血をあいつが舐める。その繰り返し。
あいつが俺から全部の血を舐めとるまで続けるつもりなのだと気づいた時には、俺は疲れきって抵抗する気力を失っていた。


「…………殺せよ」
「…なんで?」
「俺が、この女を食ったの怒ってるんだろ。…なら俺を殺せよ、それでいいだろ!?」
「嫌だよ。…僕はね、怒ってるわけじゃないんだ」
「っ!?」

脚を大きく広げられた。
まさか。

「………飢えてるだけなんだよ。君と同じでね」
「い、っ………!!」

血と精液を指に絡めて、それを無理やり尻の穴に捩じ込まれて。
痛さと気持ち悪さが同時にきて吐きそうになる。
酸素が欲しくて口を開いたら、その口に唇で触れられて、舌を挿し込まれた。





――後のことは、はっきり覚えていない。


「や、…!い、いた、い、痛」
「力、抜いて。大丈夫だよ、ほら…息吐いて」
「は……は…ぁっ」
「……泣き顔も、イイ、ね。綺麗だ…」

とにかくあいつに滅茶苦茶に嬲られて。

「ね、テッド。……名前呼んで?」
「………ベ、…ネ…」
「…………ふふっ」


意識さえ搾り取られて。



「ぁ、あ……っ!!」


白く弾けた。









――――――……。


「――…っ!!」

がばりと飛び起きて周りを見回す。
…昨日までと同じ、ベネットの家の、空き部屋のベッド。
昨日までと同じ天井、景色、……青空。


「……今、何時だ…?」

痛む腰を摩りつつベッドを降りる。部屋に改めて異変がないことを確認して、俺はようやく息を吐いた。
……喉が乾いて仕方ない。まずは台所に行こう。
その間にベネットと鉢合わせたらどうしたらいい?どんな顔を、…すればいい?
そんなことも解らないままに、俺は部屋の扉を開けて階段を降りる。

家の中は静まり返っていた。
誰もいない気がする。だけど油断できなかった。
昨夜のことを考えれば、……あいつが物音立てずにそこら辺に座っていても何もおかしくないから。


台所にも人影はなかった。
汲み置きの水があったので、それを手で掬って飲む。
冷えた水を飲んだことで、気分が少し落ち着いた気がした。

「……本当にいないみたいだな」

ならば好都合だ。…このまま出ていこう。
元々あいつを食ったらこの村を出ていくつもりだったんだ。
あいつがいないうちに出て行ったほうが何か余計なことを言われたりせずに済む……。



「……………んで」

でも、何故か。
胸の奥がきりきりと痛んだ。昨日、薄れる意識の中で漠然と感じた痛みと同じだった。


玄関は、昨日あったことがまるで嘘のように綺麗なままだった。
血痕一つ残っていない。
当然、肉片や精液の残滓もない。

「………」

この満腹感と腰の痛みさえなければ全部夢だったと思ってしまうくらいに、そこには、何もなかった。
扉を開いて外に出る。よくよく考えれば久しぶりの外だった。
森のほうを目指して、少し急ぎ足で進んだ。



「……?」


村もやたらと静かだった。
昼なのに村人の姿を見かけないのは不思議だと思いつつ進むと、村と森の境界近くに墓地が見えた。
そこに佇む、一人の髪の長い女。

「………」

俺はその女の横顔に視線を奪われた。
…何と言えばいいのか。とにかく、今まで見たことのあるどの女とも違う顔だった。
人形みたいな、そんな表現がしっくりきた。
そして――ああ、昨日の女も美味だったが、この女もそれ以上に美味そうだと、思った。

「――誰」
「…っ!」

そんなことを思いながら足を止めたのがいけなかったのか。
俺は女に見つかった。
誰、と言われて咄嗟に何を名乗ればいいのかわからない。襲って口封じ?
いや、太陽は俺に味方しない。きっと、人間のフリをしてやり過ごすのが正しい。

「お、れは、その。通りすがりだ…じゃあな!」
「待て」
「っ」
「……これも何かの縁。少しお茶でも飲んでいかないか。…それに、人目を避けて行動するならば夜がいい。ここはもうじきに、余所者一人では歩けなくなる」
「どういう、ことだ…?」
「説明は後でする。聞こえるだろう。……ニンゲンの足音が。…聞こえないか?」

耳を澄ます。
静寂に包まれていた村の中心部から、人が散る足音がした。…一人や二人ではない。

「今こうしているところを村の者に見られるのは私も貴方も得をしない。……来るといい。悪いようにはしない」


女は俺を誘う。
迷ったが……なるようになればいいと思い、俺はそいつの案内で近くのあばら家に足を踏み入れた。











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