それから、弟のことについても話をして。――だがこちらは、なかなか上手く行かなかった。高校は弟のほうがいい高校に行ったが、大学は立場が逆転したのだ。弟がかつての自分のように、コンプレックスを持たないか、それで親族に何か言われないか。そればかりは、イアンにもお手上げだった。何を言われても気にしない、ぐらいしかできることがないのだ。
それから、弟となるべくスキンシップを図ること。結局、そんな当たり障りのない結論で終わってしまった。
「…ごめんな、あんまり役に立てるアドバイスできなくて」
「いえ、…1つ目のほうがすっきりしただけでも十分です。本当に、こんな時間までありがとうございました」
「おう、気をつけて帰れよ。この辺り、夜はあんま治安よくないからな」
「大丈夫ですよ。…それじゃあ、お邪魔しました」
イアンの家を出ると、少し冷たい風が頬に当たった。昼間は静かだった通りには派手なランプがひしめき合い、ここが夜の街なんだなということを実感する。足早に通り抜けようとして、――携帯が鳴った。メールだった。歩きながら、目を通す。
「……え?」
"どうして、こんなところにいるの?"
差出人はベネット。見回すと――後ろ、十数メートルほど離れたところにベネットが立っていた。携帯を握り締めたまま、呆然と。慌てて駆け寄る。
「ベネット、…お前こそなんでこんなところに」
「駅から、…なんとなく、バスに乗る気になれなかったから、ちょっと歩いて帰ろうと思って、近道…」
「馬鹿、道は選べ。ここ、未成年が一人で歩く道じゃないから」
「それはラルフも同じでしょ。なんでこんなところにいるの?…今日、おれとは会えないって言ってたのに」
「………それは…」
「…おれ、見たんだ。そこのアパートからラルフが出てくるの。…ねえ、あれ、誰の家?」
「…………」
「…ごめん、ラルフが休みの日に誰と会おうとおれには関係ないのに、…わかってる、でもごめん、わかんないんだ、ラルフが。おれが知らないところにどんどんラルフが離れていっちゃうような、そんな気がして、怖くて…一昨日からずっと頭の中がぐちゃぐちゃで…自分でも、何を言いたいのかちっともわからなくて…」
「…ベネット」
「困らせて、ごめん。でも、すごく苦しいんだ。おれ…」
「とにかく…、帰るぞ。それと…話がある」
「……話…?」
それは後だとラルフはベネットの手を引く。急に引っ張られて前のめりになり、転びかけた。それをラルフが悪い、と謝りながら振り返った。ベネットが大丈夫と頷き返すとそうかと短い返事の後歩き出した。今度は転ばずについていく。
――手が、握られている。それに気付いて、ベネットは顔が熱くなるのを感じていた。
通りを抜けて、バス停へ。バスは混雑していて、とても話ができる状態ではなかった。そのまま、手だけはしっかりと繋いだまま、十数分揺られる。降りてようやく、ベネットはラルフの顔をまじまじと見ることができた。それでもまたすぐにラルフが歩き出したので、結局は、歩きながら話すことになったのだが。
「…あの、ラルフ。…話って」
「………さっきまで、イアン先生に会ってた」
「イアン先生?1年のときのラルフの担任の?」
「ああ。…あの時は色々と悩み事とか聞いてもらったからさ。今回も…何かいいアドバイスもらえるかなって」
「…………それで…?」
「押し倒された」
「―――っ!?」
握る手の力が強くなり、ラルフは振り返った。驚きと、怒り。そんな表情のベネットがいた。ラルフは苦笑する。
「大丈夫、ホントに押し倒されただけだ。それ以上は何もされてない。……その時にさ、俺ははっきりと嫌だって思ったんだ。尊敬してる先生だけど、そういう関係は望んでないってはっきりと思った」
「…………」
「怒るなよ。…先生はさ、例えば俺がベネットかフィリップにこうされたらどう思うか想像してみろって言った。さっきみたいに嫌だと思ったら、断れって」
「……それで…」
「…………こういう話をするくらいなんだ。別に、嫌じゃなかったよ。ただ、困ったことにそれじゃあどっちかを選べなくてな。どうしようって聞いたら、先に想像したほうにしろって」
「……………どっち?」
「どっちだったと思う?」
「…じれったい。早く答えを聞かせて。こんな風にもったいぶって喋るんだったら、答えは」
立ち止まる。
「…なんでわかった?」
「ラルフは悪い返事をするときに話を引き伸ばしたりしない」
「……ったく、何でもお見通しってわけか」
「そうだよ。…だから、ラルフの考えてることがわからなくなったのが怖かったんだ」
「参ったな。嘘が吐けない」
「おれに嘘つく必要、あるの?」
「………無いな」
「じゃあ、言ってよ。ちゃんと。おれは言ったよ?すきだって」
家までもうあとちょっとの距離。日は完全に暮れているとはいえ、誰か近所の人に見られてもおかしくはない。だけど、そんなことは気にならなかった。
「……ありがとう。俺は、お前の告白を受け入れるよ」
「………すき、とは言ってくれないんだ?」
「そこまではまだ自信がない。多分俺はまだ、かけがえのない親友としてお前が好きなんだと思う。――だからこれ以上進展させたいんだったら、俺を惚れさせてみろよ」
「……………っ!?」
にっ、と笑ったラルフにベネットの頬が赤くなる。――面白い。やってやろうじゃないか。そのサディスティックなポーカーフェイスを塗り替えて、お前が好きだと、傍に居ないとダメなんだって言わせてやろう。必ず。
「おれ、本気出すよ?」
「ああ。楽しみにしてる」
「早速だけど、今夜泊まっていい?」
「………馬鹿。明日は遅刻できないだろ。今日はこれで解散」
「じゃあ明日」
「…………お前な」
呆れた様子のラルフの腕を引く。なんだ、と振り返ったラルフにベネットは聞いた。
「キスしていい?」
「―――――……」
春の夜。二つの影が静かに重なった。
novel menu next