―― 卒業式2日前、土曜日
「…あああ、どうしよう。昨日の今日で一体何話したらいいんだ俺…!」
大型ショッピングセンター近くの待ち合わせ場所でフィリップは一人、そわそわと落ち着かない様子で携帯の画面を見つめたり閉じたりボタンを連打したりしていた。
昨日、勢い余ってラルフに告白した挙句、一瞬だけとは言えキスまでしてしまって、色んな意味でもう終わったなと思っていたところに突然、明日出かけないかとラルフからのメールがあった。ということは告白の返事はOKなのか、と嬉しい気持ちになりつつ、そんなことは全然関係なく本当に出かけるだけ――あの、人を顎で使うことに長けたラルフならばこんなことの後でも荷物もちに呼び出すだけというのは十分ありえる話だ――かもしれないと思いつつ、とにかく二つ返事で了解した。
服装は気取らない、いつものラフな格好で。でも、手持ちの服の中で一番新しいものを着た。――そういえばラルフの私服を見るのは初めてだ、と思ったとき。
「悪い、バス遅れた」
遅れたのは自分のせいではなくバスが悪いと言いたげな一言が、フィリップの耳に飛び込んだ。すぐに振り向いて目当ての人を確認すると同時、え、と小さく気の抜けた声が漏れた。
「だから早く行こうって言ったのに。土曜日だからバス混んでて当然だよ」
「そんなの俺が知ったことか。……どした?」
「…あ、えっと。…そちらは?」
ラルフの半歩後ろ。柔らかい笑みを浮かべて立っているベネットを指差してフィリップは訊ねた。――そういえばメールにはどこにも、"2人きりで"とは書いてなかった気がする。
「ああ、そっか。俺の幼馴染のベネット。一応、七転学園の3年だ」
「一応って何…。…はじめまして。フィリップ君だよね?ラルフから色々聞いてるよ。今日はよろしく」
「え…は……はい、よろしくお願いします…」
「まず何だっけ?買い物だっけ?」
「うん。今日発売のマンガー」
「本屋は……3階か。んじゃ行くぞ」
エスカレーターに乗りながら、フィリップは複雑な思いを抱いていた。――そう、このエスカレーターの乗り方も何かおかしい。まずはラルフが1人乗って、その次にベネットとフィリップが2人並んで乗った。自分がハブられるよりはマシだが、何で初対面同士で並んで立っているのだろう。と、落ち着かない様子でベネットをちらと見ると、しっかりと目が合った。どうやら、ベネットはずっとフィリップを見ていたらしい。ラルフを一度ちらりと見てから、ベネットは小声でフィリップに囁いた。
「……ごめんね、邪魔しちゃって」
「…え?」
「事情は全部ラルフから聞いてる。その上で、とりあえず返事は保留してデートでもしてみたら?って言ったのはおれ。だから、おれのことは気にせずアタックするといいよ。いい雰囲気だったらおれ、途中で用事あったことにして帰るから」
「………!」
目の前のベネットは自分達の事情を全部知っている。それだけで恥ずかしくていたたまれない思いになった。だが、どうやら味方であるらしいことがわかりほっとした。でも、ならどうして、と聞くとその拙い質問でも察したらしいベネットがウィンクして言った。
「だって、昨日の今日でいきなり2人きりになったら何話していいかわからないでしょ?おれは所謂進行役」
ああ、なるほど。と、フィリップは納得した。確かに、2人きりだったら本当に何を話していいかわからないだろう。――穏やかででしゃばりすぎないベネットは、こういうサポート役というか、仲介役が確かに向いていると思った。
がんばれ、とベネットが言った辺りでエスカレーターは2階に着き、すぐに3階に昇るエスカレーターに乗り換えた。と、その直後にベネットがラルフに話しかける。
「ラルフ、携帯貸して」
「は?何で。お前自分の携帯は?」
「忘れちゃった」
「…ったく、すぐ返せよ」
「うん、エロサイトいっぱい見てから返すね」
その発言にフィリップはぎょっとしたが、ラルフが怒っている様子はないし、ベネットもそんな肌色ひしめくサイトに接続している様子はない。冗談だ。そして冗談だということが完璧に伝わる間柄。自分もそれくらいラルフと親しくなりたい、と思った。顔を少し上に上げて、ベネットの衝撃で今の今までちゃんと見ていなかったラルフの私服を見る。高そうなテーラードジャケット。それでいて、服に着られてはいない。背中を見ただけで、ラルフに似合っていると確信できた。と、視界の中のラルフが動く。エスカレーターが3階に着いた。ソレと同時、ズボンのポケットに入れていたフィリップの携帯が振動した。
「携帯ありがと、返すね」
「ああ。…っと、本屋こっちだっけ?」
「うん、行ってくるよ。2人はどうする?」
「折角だし一人暮らし本でも立ち読みしてる」
「あはは、料理レシピと生活知恵袋ネタが多い本がいいよ。ラルフはそういうの疎いからね」
「……さっさと行ってこい。おい、お前はどうする?」
「…………」
「…フィリップ?」
「え、…あ、俺は特に欲しい本もないんで、ここで待ってます」
「そか。んじゃ」
去っていくラルフの背中を見て、それからすぐにフィリップは自分の携帯に視線を落とした。届いたのはメール。差出人はラルフ。本文は――。
"きみにラルフは渡さないから"
「―――――……」
差出人はラルフだが、タイミングと本文からして送信者はベネット以外にありえない。さっき、携帯を借りたのはこのためだったのだ。温和で優しい態度は表面だけ。実際は…。
「…………まじかよ…」
思いがけないライバルの存在に、フィリップはただ絶句するしかなかった。
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