―― 卒業式3日前、金曜日
放課後の生徒会室にはラルフ一人しかいなかった。他の生徒会の人間は卒業式の歌の練習だの部活だので今はいない。そもそも、こんな時期に生徒会が動くような行事はこの学校にはないのだが。
「………っと、こんなもんか」
生徒会室に持ち込んだ私物の数々。それらをようやく持ち帰る気になって色々と片付けをしていた。と言っても、漫画本だの雑誌だの文房具だの大抵のものはやはり持ち帰るのが面倒臭くなってそのまま置いておくことにしたのだが。
窓を開けて外を見下ろす。運動場で後輩達が部活をしているのが見えた。知っている顔はいない。ならいいかと、口に煙草を咥えた。――火はつけていない。それから少しの間、空を見上げながらぼうっとしていた。らしくない、とラルフ自身も思った。
「あっ、会長!ちょちょちょ、ダメですよ!!もうすぐ卒業だってのに!」
ガラッと音を立てて扉が開いたかと思うと、派手な色の髪の後輩がつかつかと窓際まで歩いてきて、ラルフの口から煙草を取り上げた。あ、と声が漏れる。
「何するんだ」
「こんなの見つかったら、大学進学取り消しになるかもしれませんよ!?最悪高校も卒業できないかもです!」
「吸ってなかったからいいじゃないか」
「よくないです!仕舞ってくださいよほら!」
机の上に置いてあった煙草の箱を指差して後輩――フィリップが怒った。やれやれと頭をかきながらラルフはそれを胸ポケットに仕舞う。折角一人の時間をくつろいでいたと言うのに、邪魔が入った。少しだけ仕返しするつもりで目を細め、言った。
「そういえばこの間の期末テストの結果はどうだった?」
「え゛っ」
「勿論、この俺直々に勉強を見てやったんだから平均点20点は上がったよな?」
「そ、えー、あー、それはそのーはは、まだ答案返ってきてなくてー」
「お前のクラスのムパムピスは数学満点だって聞いたけど?」
「あ、ああー、そ、そうだ。数学だけは返ってきてたんでした!あはは…数学はちょっと調子がイマイチで…」
「ん?満点取ったのは国語だったか?…まあどっちでもいい。誤魔化しても無駄だ。とっとと結果だけ言えこのトリ頭」
「……………………こ、国語63、数学45、英語…47…」
フィリップが数字を言うたびにラルフの笑顔が濃くなる。いや、終盤になると笑顔ではなくただ単に顔が引きつっているだけだというのがはっきりとわかるようになった。ああ…怒られる、とフィリップはぐっと目を閉じる。
「お前なあ…?どれも赤点ギリギリじゃねーか。ったく、ホントにトリ頭だな。やる気あるのか?お前来年は受験生だろ?そんなことで大学行けんのかよ。今高卒で就職ってかなりキツいんだぞ。取り得の無い普通科の学生は大人しく勉強してどっか適当な大学か専門行って時間稼ぎするしかねーの。わかる?」
「………はい」
「生徒会が頭悪いってイメージにも響くんだからな。今までは俺が居たからどうとでもなったけど、来年からどうなるんだよ。来年度もお前生徒会残るんだろ?次期会長のヤツのこと俺はよく知らないけど、せめてそいつには迷惑掛けないようにしろよ」
「…………は、はい…」
「ま、でも。俺が重点的に教えた国語と化学だけは点数は若干良くなったみたいだな。それに免じて説教はここまでにしておいてやる」
「…はい…っへ?」
まだまだお説教が続くと思っていたフィリップは素っ頓狂な声を上げる。いびるときは本当に無遠慮にやりたい放題やるラルフがここまであっさりと引っ込めたのは何かあるとしか思えなかった。例えば、熱とか。
「会長、最近流行のインフルエンザですか…?」
「馬鹿、俺はいたって健康だ」
「いや、でもだって…あでで」
「まだ叱られ足りないみたいだな?」
「い、いひゃいえす!ほ、ほほはやめてくだはい!」
頬を赤くなるまで強い力で抓られたフィリップは、手を離されてからも暫く涙目で頬を押さえていた。よほど痛かったらしい。流石のラルフもちとまずいと思ったのか小さい声で「痛いなら痛いって言え」と口にする。言わせなかったのは自分だろうという突っ込みがフィリップに許されているはずもない。
「…そういえば会長……」
「何だ?」
「や、俺、会長の進路聞いてなかったなって思って」
「そうだったっけか?俺は大学に行くよ。七転大学の医学部。あそこに受かったんだ」
「えっ!?ソコってめっちゃ頭いい大学じゃないですか!」
「ああ。今回ばかりは謙遜しない。うちの学園から七転大学進学者が出るなんて十年に一度の快挙だ」
「会長いつも謙遜なんかしないじゃないですか…。…っと、それより、七転大学ならここからすぐ近くですよね。ということは実家から通うんですよね?…だったら、卒業後も遊びに来てくださいね」
フィリップの言葉に、ラルフは一度瞬いたあと、あー、低い声を出した。確かに、七転大学は同じ市内にある。だが、それは、メインキャンパスだけで。
「…んまあ、大学事情に詳しくなければ知らなくて当然か。七転大学って、学部ごとにキャンパスが分かれてるんだよ。市内にあるのは経済学部と文学部。俺の行く医学部はもっと遠い」
「そ、そうなんですか…?遠いって、どれくらい…?」
「××県だ。――此処からだと新幹線使っても片道4時間は掛かるな」
「…えええ!?そんなに遠いんですか!?じゃ、じゃあ一人暮らし、とか…?」
「ああ。大学のほうの寮に入る。卒業式終わったら、すぐに書類手続きのラッシュだよ。入寮日まで相部屋の奴がどんな奴かわからないから、そこがちょっと心配ではあるけど…」
「あ、相部屋!?」
「………何そんなに驚いてるんだお前」
「え、だって…う、いやその。…だって、会長が………」
「………?」
「…………………」
奇妙な沈黙が流れる。なんとなく居心地が悪くて、何かしたいと思っても何もすることがない。煙草はもう出せない。大体の暇潰しの部類はもう全部鞄の中だ。かと言って、この席を立って部屋を出るためにはフィリップの横を通らなくてはいけないので、それはそれで微妙だった。
「……なあ、お前のほうこそ最近流行のインフルエンザじゃ…」
「会長」
居心地の悪さに耐えかねて適当なことを言えば、真摯な声に遮られた。フィリップは真っ直ぐにラルフを見ている。拘束されているわけではないから、きっといつでも目を逸らそうと思えば逸らせたのに、何故か動くことができなかった。
「……俺、高校卒業しても、会長とはいつでも会えると思ってました。…毎日は流石に無理でも、月イチくらいは。前に、コンビニでばったり会ったみたいに、約束なんかなくても、近くに住んでいる限り…」
「…………フィリ…?」
「でも、それは俺の勝手な…都合のいい思い込みで、本当は、会長はすごく遠いところに行っちゃうんですよね。…だから、ひょっとしたらもう、会えないかも…しれないんですよね」
「フィリップ、おい、どうし」
た、と泣きそうな顔に伸ばした手が、掴まれる。そのまま引っ張られ、椅子から軽く腰が浮いた。目の前、近すぎる距離に緑の瞳。そして、掠めるような口付け。
「――俺、会長のことがずっと…好き、でした」
至近距離、息すらも届く距離での告白のあと、掴まれた手はそっと離された。呆然と見開かれたアンバーの瞳を見てフィリップは我に帰ったのか、すいません!と叫んで生徒会室から駆け出していく。
それを見送ってから、中途半端に浮いていた腰が、ようやく、トスン、と柔らかい椅子に落ちた。
「―――――…な…、…んなんだ…」
そう呟いて、ようやく何をされたのか自覚して急に顔が熱くなった。冷やすように手で頬を覆うが、それは寧ろ恥ずかしがっている乙女のポーズのようで、かえってラルフの羞恥を煽った。結局、開いた窓から顔を出し、風を頬に受けながら流れる雲を一生懸命に見上げることで平静を取り戻すのだった。
novel menu next