俺はただただ嬉しかった。
何もなかった俺が、ようやく力を手に入れたのだから。
握り締めた鉈の先からは、血の涙が滴り続けていた。
[pOSSESSED]
「カタリナ、今日も一日ご苦労様。さ、ご飯にしましょ」
「はーいっ」
部屋の外から、母親と姉の声が聞こえた。
ドアノブを握り締めた姿勢のまま、少し固まる。
耳を塞ぐことも、できない。
「お母さん、ロルフは?」
「さぁ?…またどうせ部屋に閉じこもってるんでしょう」
「呼んだほうがいいんじゃないかな?」
「食べたくなったら勝手に降りてくるでしょう。それよりカタリナ、お皿を出しておいてちょうだい」
「…はーい」
俺の両親は羊飼いで、生活にそれほど余裕があったわけではなかった。
「子供は1人だけ」そう決めていたのに生まれてきたのは双子。
母親似で可愛らしく、呑みこみが早くて従順な、姉のカタリナ。
そのカタリナにそっくりな女顔で、要領の悪い、弟の俺。
両親は当然カタリナのほうを可愛がった。
そして羊飼いの仕事を継がせようと、小さい頃からずっとカタリナに訓練を続けてきた。
…俺は、何も望まれていなかった。
家に居場所なんてなかった。
両親に無視されるのも、カタリナから哀れまれるのも、周りの大人にカタリナと間違えられるのも、何もかも嫌でたまらなかった。
だから、早く大人になってこの村を出たい…そればかり考えていた。
何のとりえもなかった俺が見つけた村を出る方法、それは勉強だった。
勉強して都会の学校に行く。
学力さえあれば奨学金でもなんでも手に入れられる。
生活費はアルバイトをすれば稼げる。
そのために俺は一生懸命勉強した。
ただ、この村を出たい。
外の世界で誰かに認められたい。
そのためだけに。
数年後の春。ついに志望していた学校に受かった。
届いた合格通知を握り締めて、家の中を駆ける。
「母さん、父さん!俺…」
「静かにしなさい!」
「―――…!」
母親が静かに俺を睨みつけた。
「カタリナが熱を出しているのよ。騒ぐなら他所でやりなさい」
「え…あ…ごめ…なさい。でも…でも聞いて」
「後でいいでしょう?どうせ大した用じゃないんだから」
「…………」
俺は部屋を出た。
「全く何考えてるのかしらあの子は…」
「家のことを手伝いもせずに…図書館だの街だの遊びに行って…」
「都会の学校に行くだなんて、どうせ無理に決まってるのに」
「………っ!!」
―――認められない。
俺の努力は、結局この家族には認めてもらえない。
この箱庭の中では何の意味もない。
…出よう。
このままここにいたら、気が狂いそうだ。
ここに俺の居場所は無い。
俺は新しい世界への片道切符を手に入れたんだ。
もうこんな場所には帰ってこない。
絶対にだ。
俺はそのまま荷物をまとめて、家出同然に飛び出した。
そして新しい世界で、新しい幸せを掴むと誓った。
「…なんで」
都会での生活を始めてから一月後、両親から手紙が届いた。
「学校をやめてすぐに帰ってこい」
たった、これだけ。
「…誰が帰るかよ」
ぐしゃ、と俺は手紙を丸める。
帰るはずがない。
あんな世界。
あんな家。
あんな村。
「……」
でも、…俺は心のどこかで期待してしまっていた。
もしかしたら…。
……「家族」だとは、思ってもらえていたのかもしれない。
いや、違う。
どんなに無視されていても俺のことを家族だと思っていてほしかったし、俺も家族だと思いたかった。
そういう願望が、現実かもしれないという淡い期待に俺は勝てなかった。
学校に休学届を出して、俺は村に帰った。
「―――え?今…何て?」
「だから、カタリナが隣村におつかいに行ったまま帰ってこないのよ。もう一週間になるわ」
「戻ってくるまでお前に家で羊の世話をしてもらいたいと言ったんだ」
「…それだけ?たったそれだけのためにわざわざ俺を呼んだのか?」
「それだけだと?お前はカタリナが心配じゃないのか!」
「今までずっと家のことを何もしてこなかったんだから、こういうときくらい手伝いなさい!」
何もしてこなかった?
―――何もさせなかったの間違いだろ…?
羊の世話だってさせてもらえなかった。
近づくと疎まれた。
俺がいないところで俺のこと、産まなきゃよかった、金がかかるだけだって何度も愚痴っていたのを俺は知っている。
「どうせ都会で遊んでるだけなんでしょう?それならまだ村でヤコブやトーマスの手伝いでもしていたほうがマシだわ」
「パメラだって最近レジーナの宿の手伝いを始めたんだぞ、それなのにお前ときたら…」
ああ――。
「何処に行く?」
「待ちなさい!」
――――馬鹿みたいだ。
帰ってこなければよかった。
こんな家。
こんな親。
玄関先に立てかけてあった鉈を掴む。
部屋に戻ると、父親が驚いて目を見開いた。
「何を―――」
そのまま父親の顔めがけて、思いっきり振り下ろした。
「―――あなた…!!」
一瞬、全ての音が消えた。
そしてふっと思い出したように母親の悲鳴と、父親の呻き声が聞こえる。
「るせぇよ!」
顔にめり込んだ鉈を引き抜く。返り血が、母親の頬にまで飛び散った。
「あ…ああ…」
驚いた母親が尻餅をついて、そのままがくがく震えながら後ろに下がる。
「―――なあ、俺のこと一度でも…心から…息子だと…家族だと思ったことある?」
「ロル…」
「俺のこと、一度でも…愛してるって思ったことある…?」
「やめ…」
「―――ないよな?」
一回、二回、三回…。
殴るように鉈を振り下ろした。
……四回、五回、六回……。
「やめ…すけ…助……りな…」
「…………」
ザクッ
グシャッ
ビチャ
グシャ…
「―――はぁ…はぁっ…は……」
腕が疲れて、そこで俺は我に帰った。
「あ………」
そこにあったのは原型を留めない両親の死体。
内臓を抉り出して、その抉り出した内臓すら切り刻んでいた。
「あ…は……」
そのとき俺の心を満たしたのは、満足感だった。
後悔なんて欠片もなかった。
やっと…望むものを手に入れたような、そんな感覚だった。
「はは…は…あはは…あはははははは…!!」
「――ロル…」
聞きなれた声。
は、と俺は振り向いた。
そこには、荷物を一杯抱えて立ち尽くした、片割れの姿。
「かえ…ってた…の、ね」
「…………」
「わた、しも…今…かえって…きた、の…。大雨、で、隣村とこの村を結ぶ道、が通れな…く…なっちゃって…だか、ら…まわりみち…」
「…カタリナ」
「……………して…」
「なあ、カタリナ」
「……な、に?ロルフ…」
「カタリナは俺の自慢の姉だよ」
カタリナは引きつった笑顔のまま、それでも律儀に俺に問い直した。
「ロ…ルフ…?」
「だから…」
身体は重かったけれど、俺は立ち上がった。
カタリナが怯えて1歩下がる。
「だからこそ…」
「………」
「目障りだったんだよ!ずっと!!」
怯えた顔のすぐ下、震える喉めがけて鉈を振り上げた。
「ごほ…っ」
「カタリナがいなければ俺は父さんと母さんに愛してもらえたはずなんだ…カタリナが俺より劣っていれば羊飼いの仕事は俺が継ぐはずだったんだ…」
「…ふ…は…」
「俺は…!」
震える腕から荷物が滑り落ち、廊下に転がる音がした。
それを合図に、俺は鉈を引き抜く。
鮮やかな赤が視界いっぱいに広がった。
――ああ。
カタリナの苦しむ顔。
今まで幸せに生きてきたカタリナがこんなに…。
ぐちゃぐちゃに。
涙と血に濡れて。
輝く瞳からは光が失せ。
だらしなく開いた唇からは舌がはみ出して…。
ああ。きっと。
俺が本当に望んでいたものは、愛情でも、信頼でも、尊敬でも、地位でも、名誉でも、なんでもないんだろう。
ただ、力が欲しかったんだ。
自分の望む世界を、実現できるような力が。
崩れ落ちたカタリナを俺は数え切れないほど刺した。
カタリナが醜くなればなるほど、俺の心はすっと晴れ渡るようだった。
カタリナは醜い。
俺は綺麗なまま。
カタリナは死ぬ。
俺は生きている。
勝者と敗者が、たった数分で入れ替わった。
ああ、この瞬間。この瞬間が欲しかったんだ。
俺は外に飛び出した。
鉈一本握り締めたまま。
醜い肉の塊となった彼らを振り返らず。
夜の村を彷徨う。
風がとても心地よかった。
「―――カタリナ!」
背後から声がした。
無視して歩き続けていたら声の主は走ってきて俺に追いついた。
村長だった。
「無事だったんだな、よかった。村の皆が心配していたよ、最近この辺りで人狼が出たって噂も流れていたし――――…カタリナ?」
村長は俺の血塗れの姿を見て一歩後退った。
そして、一度顔を上げて、もう一度視線を俺の服に落とし、再度もう一度俺の顔を見た。
「ロルフ…か?」
「ああ」
「そ、そうだったか。すまない。暗くてよく見えなかったんだ……その、血は」
「あぁ、コレ?」
腹を横に割るように、鉈を振った。
流石に4人目ということで、俺も慣れたらしい。
血と、少しの内蔵がはみ出たのが見える。
「ぐふ…っ…ロル…」
「村長ってさ、俺の名前1回でちゃんと呼べたこと一度もないよな?」
「なに…す…」
「ここまでされれば、ちゃあんと俺の名前覚えるよな?」
倒れた村長の背中にとどめにもう一撃加えて、抵抗がなくなったのを見てから引き抜く。
生きているか死んでいるか確認するのも億劫だったし、多分このまま放っておけば死ぬだろう。
ふらっと急に疲れを感じて、何処かで休もうかと考えた。
少し逡巡して、ヤコブのところに行こうと考えた。
家に戻る気はしない。教会はなんとなく嫌だった。それ以外の奴らは大体俺のことを疎んでいるか、口やかましく説教してくる連中だ。
ヤコブは――…この村の中で唯一、俺をカタリナとは違う個人と扱ってくれた人だった。
農夫は朝早く起き、夜は早く休む。この時間だともうそろそろ寝る支度をしている頃だろう。
ヤコブの家の扉を乱暴に叩くと、少しの沈黙の後足音がした。
「こんな時間に誰……。……ロル…フ?」
ヤコブの表情が一瞬にして凍った。
無理もない。村長と会ったときと違って、俺がどんな姿をして何を持っているか、部屋の明かりがはっきりと照らし出しているから。
「ど…した。その…。…あ、えと、学校は…?いつ、帰って…」
「とりあえずさ、中に入れてくれよ。疲れたんだ、部屋の隅でいいから貸してくれねぇ?」
「あ…ああ」
友達だからなのか、逆らってはいけないと感じたのかはわからないけれどヤコブはすんなり中に入れてくれた。
リビングの壁に寄りかかって、そのままずるずると壁を擦って座る。
ちら、と見上げると白い壁紙に紅がついていた。
「…まず、その鉈を捨ててくれんか」
少しだけ落ち着きを取り戻したらしいヤコブは、俺にそう言った。
「…………」
俺は鉈を手放して、床に放った。
ヤコブを殺すつもりはなかったから。
それを見てヤコブがほっと息を吐く。
「一体どうしただ?…話してほしい」
「…………な、俺とヤコブって友達だよな?」
「当たり前だべ。じゃなかったらこんな物騒なカッコしてる奴家に入れん」
「そか、よかった」
「で、何が」
「カタリナを殺した」
さっき以上にヤコブの表情がこわばった。
「な…」
「父さん、母さん、カタリナ…さっきそこで偶然会ったから村長を、殺してきた。ほんの30分でだぜ?…な、すごくねぇ?」
「…なん…で」
「…………なんでだったんだろうなぁ」
なんで、と聞かれて一言で言い表せるような感情ではなかった気がする。
直接の原因はくだらないことで家に呼び戻されて更にあれこれ言われたことだけれど、それはあくまで引き金に過ぎなかった。
もっと大きな何かがあった。
でもうまく言葉にならない。
よくわからなかったから、俺は笑った。
ヤコブの表情が、驚きから怒りに変わる。
「ロルフ」
「ん?」
「おらはな…カタリナと近々結婚するつもりだったんだ」
両親を殺してからどこかふわふわと浮ついていた気分が一気に冷めたように感じた。
…なんだって?
「…おらは、ロルフのこともよく知ってる。真面目で…こんな悪い冗談なんか言うような奴じゃないって知ってる。…だから聞かせてほしい…なしてそんなことしただ!?」
「……………」
「ロルフが親と上手くいかなくてずっと悩んでたことは知ってる!!でもカタリナが…村長が、一体何をしただ!?なんで殺さないといけなかった!?なんでおらや他の人にもっと早く相談しなかったんだ!?」
…………。
「カタリナはずっとロルのこと気にかけてた!!自分のほうが後に生まれていたらってずっと自分じゃどうしようもないことを悔やんでた!!なんであんなに優しいカタリナを……」
―――聞きたくない。
重い腕を持ち上げて、床に一度投げ捨てた鉈を掴む。
そこからは一瞬だった。
ヤコブの腕を逃げられないように掴んで、その腕を肩から切り落とすように――。
「うあああああ――!!」
その後はカタリナと同じように、喉を裂いて、腹を裂いて、何度も何度も何度も…。
気がつけば、ヤコブも死んでいた。
「…………」
ヤコブは殺すつもりなんてなかったのに。
どうしてだったんだろう。
カタリナはもういないのに。
俺を苦しめるものはもう何もないはずなのに。
ヤコブは俺によくしてくれたのに。
わからない。
わからないけれど…。
同時に別のことはわかった。
カタリナがいなくなっただけでは俺の価値が認められることなど決してないし、
この村の中で俺がカタリナに勝てる日は、もう二度と来ない。
つまり、この行為に意味など何もなく、俺がただ、独り踊って独りで負けた。
それだけだということ。
「………………」
ヤコブの死体を見下ろしながら、これからどうしようかとぼんやり考えた。
何事もなかったように学校に戻ることは、きっとできる。
でも、カタリナと俺を知っている人間がいるこの村がある限りきっと俺の心に安寧など来ないのだろう。
――いっそ、今からこの村の人間を全員殺して回ろうか?
いや、それは無理だ。今の俺には鉈一本しかないから、銃には負ける。
誰かを殺している間に別の誰かが隣の村に駆け込んだら終わりだ。
人を5人殺した。うち3人は家族。
その罪に科せられる罰がどれほどかわからないほど俺はバカじゃない。
どうしようか。
考えながら、俺は一歩足を進めた。
椅子に座り、ふと机の上に目を落とす。
「…人狼?」
そこにあったメモ書きにはこう書かれていた。
【人狼への対策会議、9時から、レジーナの宿】
人狼…そういえばさっき村長が口にしていたなと思い出す。
存在は聞いたことがある。人を喰らって生きる、人と同じ姿をした獣。
馬鹿馬鹿しい…そう思って目をそらして、ふと、気づいた。
俺一人でこの村の人間全員を殺すことは無理でも、この機会に乗じれば…。
この村は…。
「………利用してやろう」
俺は決意をして立ち上がる。
俺はこの村がなくなればいいと思っている。
狼はこの村の人間を食べたいと思っている。
利害は一致している。完全にだ。
そうと決まればその会議に顔を出さなければ。
その前に身体を洗って綺麗にしないと。
血の匂いで人狼と疑われて処刑されてしまってはたまらない。
「…くく…あはは…あははははははっ!!」
俺自身壊れ始めていると、頭ではしっかりわかっていた。
けれどそれを止める必要はないと理性が判断した。
それだけのこと。全ては俺の狂気染みた理性の判断だった。
そして俺は、血に飢えた狂人となった。
novel menu