――6日目、昼。

リーザの遺体が見つかり、ヴァルターの占いでオットーが人間であることが明らかになった。
「後、灰色のままなのは…ヤコブ、トーマス、ヨアヒム、カタリナか」
「………正直おらはヨアヒムもカタリナも人間に見えるだ。特にカタリナは人間だと信じてる。…トーマスを処刑したい」
「…私を信じてくれるの?ヤコブ…」
「……」
ヤコブはカタリナに頷く。ありがとう、とカタリナが柔らかく微笑んだ。
「随分余裕だな」
一方、消去法で処刑に挙げられたトーマスの心中は穏やかではない。
「ヨアヒム」
「………」
「ヨア」
「えっ…?…ああ、そうか。そろそろ時間か…」
ヨアヒムはこれまでの議事録を睨みながら、暫しうなった後。
「ヤコブの考えには賛同できるし、僕はヤコブを人間だと思っている。…だから、カタリナを占って、トーマスを処刑かな」
「なっ、ヨアヒム…お前まで」
「トーマス落ち着いて」
「落ち着いていられるか…!」
「…うーん、私にはここにきてのヨアヒムの票重ねは若干不審に見える。ヤコブを白く見ていたのは元々だが、トーマスは特に黒く見ていたわけじゃないだろう?」
「…正直、わからないんだよね…。ヤコブとカタリナとは付き合いが長いから信用したいだけ、というのが本音かもしれない…」
ヴァルターが静かに目を閉じる。少し考えた後、口を開いた。
「…今日はトーマスを処刑し……ヨアヒムを占う」




[phase 7 -愛する者に捧げるレクイエム-]




――6日目、夜。

トーマスの処刑が終わった後、オットーはヴァルターの部屋まで来ていた。正確には、屋根裏に。
ボウガンをいつでも撃てるように構える。…予備の矢が少なくなっていたのは事実だった。後、5本。それ以外の普通の矢ならばあったが、銀の矢でないと狼への効果は薄い。
ヴァルターはよく眠っている。もし今残っている狼が憑狼でなければ、今日明日辺りにヴァルターを襲撃しないとまずいだろう。
もしヴァルターに襲撃が来ないとしたら、今日の占い先だったヨアヒムか、既に人間確定しているオットーか、だ。
「…………」
ギィ、ととても小さな音がした。オットーは天井の穴から部屋の中を凝視する。
人狼だった。窓から差し込む月明かりが僅かにその姿を照らす。…美しい狼だった。
その胴体を狙い、矢を放った。
――……!!
矢は狼の右肩に命中した。振り返った狼の鋭い視線が屋根裏のオットーを射抜く。
もう一発、とオットーは急いで矢をセットする。だが準備が終わった頃には狼は既に部屋から逃げ出していた。
「……」
はあ、と思わず大きな溜息が漏れた。…襲撃があったということは、トーマスは狼ではない。また自分たちは選択を誤ったのだ。
ヤコブか、カタリナか、…ヨアヒムか。
「…ヨアヒムだけは、…ないよね」
抱きしめて、護ると誓ってくれた腕。11年前、そして一昨日と、何も変わらなかった。ヨアヒムは、ヨアヒムだ。
人狼なんかであるはずがない。
そう結論を出すと、オットーを急に睡魔が襲った。ここ暫く、昼は会議、夜は護衛と全く眠れていなかったのだ。
…もう大丈夫か、とオットーは気を緩める。そして、そのまま屋根裏で眠ってしまった。




――7日目。

「おはよう」
「おはよ、オットー」
オットーが階下に下りてきた頃には、既に全員が揃っていた。
両肘を机について、組んだ手の上に顎を乗せてぼんやり考え事をしている様子のカタリナ。
腕を組んでじっと黙っているヤコブ。
左手でカップを持ち、紅茶を飲んでいるヨアヒム。
そして、オットーに少し哀しげな視線を向けるヴァルター。
「……さて、全員揃ったことだし、占い結果を発表しよう」
カチャン、と音を立ててヨアヒムが空のカップを机の上に置いた。
「ヨアヒムは…人狼だ」
ヤコブが顔をはっと上げてヨアヒムを見た。カタリナは驚いた様子で両手で口を覆っている。
ヨアヒムの右隣の席に座ったオットーは、表情を失っていた。
「…………」
「…嘘、だ」
「オットー、…確かに親友のヨアヒムが人狼と言うのは信じがたいかもしれない、だが…」
「嘘だ!…ねえヨアヒム、なんとか言ってよ、ヨアヒムが人狼なんて嘘…」
「痛っ…!!」
オットーがヨアヒムの右肩を掴んで揺さぶると同時、ヨアヒムが声をあげた。
「……………」
オットーは強引にヨアヒムの服を引っ張り、肩の部分を露にする。そこには、真新しい包帯が巻かれていた。
「…う…そ……」
――人狼の右肩に銀の矢が命中した。
「…離して」
ヨアヒムはオットーの手を軽く払うと、引っ張られて伸びた服を少し残念がるそぶりを見せながら肩を隠した。
「ヨアヒム…その傷は」
「…昨日、狩人に撃たれてね」
オットーはぱたり、と宙ぶらりんになっていた手を落とした。
…ヨアヒムが、人狼?
そんな――…どうして。
「どうして」
どうしようもない疑問だった。ヨアヒムは自嘲にも似た笑顔を浮かべる。
「どうしてって、僕がそう生まれたんだから仕方がない」
「…パメラを…おじさんとおばさんを殺した…のは」
「僕だ」
「どうして…?」
「お腹が空いたから」
ヨアヒムは席を立った。そして、静かに目を閉じ、…その姿を狼のそれへと変える。
「きゃああああっ!!」
驚いたカタリナが椅子から転げ落ちた。ヤコブが慌てて彼女を支える。
「――――――……」
放心しているオットーと、唖然としているヴァルターを尻目にヨアヒムは宿を飛び出した。
「あ…ま、待て!!」
「森のほうに向かってる…森の中に逃げ込まれたら向こうのほうが有利だべ…!」
「………」
「オットー!!」
「――あ…」
ヤコブに肩を強く揺すられ、オットーはハッと我に返った。
――人狼なんて。
「…おらたちは先に追ってる!オットーもすぐ来るだよ!?」
ヴァルターとヤコブが猟銃と鍬を持って森のほうへと駆けていく。
カタリナは一度オットーを振り返って。
「皆を殺した人狼が、憎くないの、オットー!!」
そう叫ぶと、二人の後を追って走っていった。
「………そうだ。人狼…」
――人狼なんて、大嫌いだ。
オットーは部屋に戻り、4本の矢とボウガンを取った。そうして、森へと向かったのだった。




――森の中。

「っぐわっ!!」
「村長!!」
左足を噛まれ、ヴァルターは草の上を転がった。ヤコブはヴァルターの持っていた銃を構え、ヨアヒムに向ける。だが、ヨアヒムは怯まない。
「……死にたくなければ僕を追うな」
「それは…こっちの台詞だ!いいか、撃たれたくなかったらそこから動…」
「その程度の武器で僕を殺せると思ってるのか!?」
ヨアヒムが吼える。鳥がバサバサと羽音を立てて飛んでいき、ヤコブは一瞬恐怖に目を閉じた。その一瞬でヨアヒムはヤコブの腕に爪を振るう。
ヤコブの叫びを最後まで聞き終わることなくヨアヒムは更に森の奥に進む。泉を通り越し、更にその奥、木の根元にある洞穴まで走った。
「――お兄ちゃん…?」
「モニカ、今すぐここを出るよ」
「えっ…?どうして?」
「話は後だ!」
そこにいたのは茶色の耳に赤い瞳をした、幼い少女だった。
「お兄ちゃん!怪我…して…」
「僕は平気。それより急いで!!」
「…う、うんっ!!」
ヨアヒムは人間の姿に戻った。全力疾走したせいで、肩に相当な負担がかかったからだった。傷口が再び開き、だらりと血が垂れる。
「……肩さえ動けば、背負ってやれるんだけど…ごめんな、自分で走れるか?」
「は…走れるよ!」
「よし、行くよ!」
ヨアヒムとモニカと呼ばれた少女は森の中を駆ける。
森のことは熟知していた。暫く走り続ければ森の外に出る。森の外に出てしまえばこっちのものだ。このままならば逃げられる。
何処に逃げるか、何処まで逃げるか、そんなことは今は考えていられなかった。とにかく逃げなければ。この幼い子を連れて。
「きゃっ!」
小さな悲鳴にヨアヒムが振り返ると、後方、モニカが木の根に引っかかって転んでいた。
「立てる!?」
「う、うん…」
「見つけたわよ、人狼ども!!」
凄い勢いで草を掻き分け駆けてきたのはカタリナだった。手に、トーマスの斧――処刑の為に何度も使われたそれ――を持っていた。
「――モニカ!!逃げろ!!」
ヨアヒムはカタリナの狙いに気づき、叫んだ。同時にモニカを助けようと駆け出す。
だが。
「皆の――仇…っ!!」
カタリナが力を振り絞って斧を高く振り上げ、そして。
――――――ズドッ。
「……………」
聞き慣れた音だった。
毎夜聞いた音。首が刎ねられる音。命が終わる音。
ころころ転がっているのは、愛する妹の―――……。
「あああああああああああ!!」
護ると決めた、大切なモノを――――喪った音。
ヨアヒムの腕は狼のそれとなり、カタリナの顔から腹にかけてを深く抉った。
爪が目を直撃したらしく、カタリナは激痛に叫び、目を押さえながらのたうち回る。
「モニカ、モニカ、モニカ…!!」
カタリナのそんな姿には目もくれず、転がった首をヨアヒムは抱きしめた。一瞬で服が血に染まる。
「護るって約束したのに…モニカ…モニカ…っ!!」
ヨアヒムの頬を涙が伝う。涙は少女の額を濡らした。
――ヒュッ。
だが、感傷に浸っている暇はなかった。ヨアヒムの耳元を風を切る音が通り過ぎていった。
「―――人狼なんて、大嫌いだ」
「……オットー」
「人狼のせいで俺が苦しまなくていいように…」
「………」
「俺を護るって言ったのに」
ヨアヒムは少女の首を抱いたまま立ち上がった。そしてゆっくりと後退する。
見据えるオットーの手には銀の矢とボウガン。ヨアヒムを見る瞳は、悲しみと絶望に満ちていた。
「――嘘つき」
その言葉と同時、2本目の矢がヨアヒムに向かって放たれた。




――11年前、ヨアヒムの家。

「嫌…っ、どうして、どうしてなのぉ…!?」
「落ち着くんだ!…誰かに聞かれたら…私たちまで…」
「でも…でも…なんで、なんでよぉ…!?なんで人間の私たちからっ…!!」
待ちに待った、母親の出産の日だった。
弟か、妹か、どっちだろう。オットーの妹のように、可愛い妹がいいな。いや、弟がいいかもしれない。そうしたら一緒に遊ぶんだ。
そんなことを考えていた。名前も勝手にあれこれ考えていた。
だけど生まれた妹は、…茶色い獣耳と、赤い瞳を持った…人狼だった。
「人狼を産んだなんて知れたら、私たちも人狼の一家として処刑か追放か…嫌、そんなのは…そんなのは嫌あああっ!!」
僕は祖父から全てを聞いていた。僕は人狼であること、祖父の娘である母親にはたまたま人狼の血が殆ど流れず、この歳になっても未だ人狼として覚醒していないこと、そして恐らく、生まれてくる弟か妹にも人狼の血は引き継がれるだろうこと…。
「そうだ…産まなかったことにしてしまえばいいんだわ…」
狂気染みた母親の言葉は、まるで自分に向けられているようだった。
血のつながりより、自らが腹を痛めて産んだという事実より、自らと違う種族を産んでしまったことを恐れた母親。
それを止めない父親。
初めて、両親が恐ろしいと思った。…僕も人狼だとバレたら、どうなってしまうのだろう。
「…………」
その時、僕は自分の愚かさに愕然とした。目の前で母親に存在を葬られようとしている妹より、自分のほうが可愛いだなんて。
「――待って…!!」
僕は、妹の首を絞め始めた母親の腕を必死に掴んで止めた。そして言う。
「僕が村の外に捨ててくる!――だから、殺さないで!」
「――――――」
「お願い、誰にも見られないようにするから!だから今殺さないで!!」
僕は叫んだ。父親は暫く迷っていたようだが、やがて母親の手をそっと外させ、僕に生まれたばかりの妹を抱かせた。
茶色い耳、赤い瞳。
―――――可愛い妹。
僕はその子を布に包んで、森へと走った。
森の中には、かつて祖父と"食事"のために使っていた洞穴があった。そこに妹をそっと横たえる。
「――僕が、護るから」
その子は…森からここに来るまで一度も泣かなかった、強い子だった。
僕はその子に考えていた名前のうち、一つを与えた。聖人の名、モニカを。
そして――森の中でずっとずっと、その子を育ててきた。
11年の間、ずっと。




――。

ヨアヒムは咄嗟に飛び退いて矢を避ける。遠くで、バスッ、と何かに刺さる音がした。
「相変わらず…運動神経いいね。狼だから?」
「………」
「その子も狼?」
「…そうだよ」
「狼の知り合いなんていたんだ」
「………」
「ジムゾンも狼だったんだよね。神父なのに。ずっと俺たちを騙してきて、いつか俺たちを食べようと」
「それは…それは違う…」
「何が違う?」
「……今回のことは、僕のせいだ。それにジムゾンたちは、近々この村を出て行く予定だった!フリーデルの身が落ち着いて、新しい神父が村に来たら…!」
「でも出て行った先で、また人を喰らう」
「―――――」
「また俺の家族や、俺みたいな人を作る」
「…オ…ト…」
「だから―――ここで、終わりにしよう、ヨアヒム」
「っ…!!」
放たれた矢は、ヨアヒムの左腿を貫いた。叫び声を上げ、ヨアヒムが倒れる。
オットーは一歩一歩距離を詰めた。最後の矢を番えながら、ヨアヒムを冷たく見下ろす。
「―――オ…ット…」
「…………」
――ああ、やはり。人と狼は共には生きられないのか。
どちらかが滅ぶしか、道はないのか。
護りたかったモノ。親友と、妹。
両親は人狼が出たと聞いたとき、真っ先にモニカが復讐に来たのだと騒いだ。そして、モニカがいるであろう森を焼いてしまえと恐ろしいことを言い出したのだ。
――私たちを、恨んでいるんだわ、あの人狼が!!
違う、――違う。モニカは純真で優しい子だった。両親に会えないことを悲しみこそすれ、恨んでなどいなかった。
――ヨアヒム、あの子を本当にちゃんと捨ててきたの!?殺してきたの!?
両親の剣幕は凄かった。
――お前も人狼じゃないだろうな!?
――恐ろしい、だからあの時あの人狼を庇ったのね!
――殺せ、他の村人に事が明るみになる前に!
――この化物、この人狼、地獄に落ちろ!
………あの時は、両親にそんなことを言われて悲しかったのだろうか。人狼の生を否定されて悔しかったのだろうか。モニカを護るため仕方ないと思ったのだろうか。
たった一週間前のことなのに、はっきり思い出せなかった。
ただわかったのは、あれは、やらなければいけないことだったのだと言うこと。
僕が人狼だと告発されれば、オットーは悲しむ。森を焼かれれば、モニカが死んでしまう。何の罪もない二人が。そんなことは、許せなかった。
「…そんな目で、俺を見るな」
オットーの声は震えていた。手も震えていて、照準がうまく合っていない。
もっとも、この至近距離ならば多少ぶれたところで外すことはないが。
「俺は、…俺は」
「…………」
オットーが泣いている。…あの日のように、抱きしめてあげたかった。
だけど手は届かない。
「…どうして…どうしてヨアヒムが人狼なんだ…」
「………」
「どうして…どうして…」
「…どうしようも、ないよ」
「……」
「僕は人狼として生を受けた。それだけだ…。僕が人狼でなければ、僕は僕でなかった」
「………………」
「…………撃つんだ」
「!?」
「オットーの言う通り…もう終わりにしよう」
人と狼が共に生きていけないのなら。
愛するものを片方失ってしまったのなら。
もう片方も失わないように。
今、終焉を。
愛するものの手で。
「……うああああ…っ」
――オットーは震える手で、ボウガンの引き金を引いた。それは正しくヨアヒムの心臓を打ち抜き、その命を終わらせる。
後はただ、悲しい泣き声が響くだけだった。




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