[きっかけ]




一体何がいけないんだ。
たった一言、ダメだと言い放った親父に、俺は背を向け店を飛び出した。
こんなやりとりがもう随分前から続いている。
「せめて何がダメなのか教えろよクソ親父」
……パン屋の一人息子。
それだけで俺の将来は決まっていたようなものだった。
当たり前のように親父の真似をしてパンを作り始め、親父の技術を目で盗みながら俺はパン作りの腕を磨いてきた。
親父も俺もそろそろいい歳になって来た頃、親父が俺に店を継がせるための条件を突きつけてきた。
親父が納得するようなパンを作ること。ただそれだけ。
「条件が曖昧すぎるんだよ」
それから俺は更に努力を重ねて、親父の作るパンと遜色ないパンを作ることができるようになった。
でも親父は首を縦に振らない。
今店に並んでいるパンを全て完璧に作れるようになっても、これまでなかった新しいパンを編み出しても、作業を効率化して親父より早くパンを作っても、親父は「ダメだ」の一点張り。
「八方塞がりってこういうことを言うんだな…」
溜め息を吐き出して、俺は草の上に寝転がった。
こんなことをしていても解決策が見えるわけじゃないのは、わかっているけど。




「――オットー?」
「――……?」
上から降ってきた声に目を開ける。
いつの間にか寝ていたらしい。
「…ヨアヒム……?」
「こんなところで昼寝?珍しいね」
俺の横に立って見下ろしていたのは幼なじみのヨアヒムだった。
でも最近はあまり顔をあわせてなかった気がする。
寝転がったままではばつが悪くて、身体を起こしてヨアヒムを見上げた。
「最近はずっと店に籠もりっぱなしって聞いて心配してたんだ」
「心配?」
「過労で倒れたりしちゃわないかなって」
「そこまでヤワじゃないさ」
「でも……」
「ヨアヒムこそ。もうすぐだよな?受験。勉強は順調か?」
「うーん…運が良ければ志望校に行けるかもって感じ…かな」
隣いい?と地面を指差したヨアヒムに俺は頷いた。
ヨアヒムが腰を下ろしている間に、俺も中途半端に起こしていた身体をちゃんと起こして座りなおす。
「…それ、なに?」
「ん?」
「その袋」
ヨアヒムが指を指した先には紙袋があった。
「ああ」
ガサ、と音を立てて袋を開いて中を見せる。
「パンだよ。ロールパン」
「食べるの?」
「いや、捨てる」
「えー!?」
…パンを1つだけ焼く、というのは難しい。
特にロールパンなんて小さなパンは、どうしても3つ4つまとめて作らないといけない。
この袋の中身は、今朝親父にダメだしされたパンの残りだ。
「勿体無いよ…」
「つってもな…。失敗作だから店には置けないし…食べてもいいけど、同じパンばかり食べても飽きるんだよな」
「…本当に捨てちゃうの?」
「ああ」
「なら僕にちょうだい」
「………まあ…いいけど」
紙袋を手渡すと、お腹空いてたんだ、とヨアヒムが笑う。
そして袋からパンを1つ取り出して口に運んだ。
「……美味しいじゃないか!本当にこれが失敗なの?」
「え……うん」
「何が失敗なのか僕にはわからないよ…。柔らかいし、大きさも手ごろで食べやすいし」
もぐ、とヨアヒムがまたパンにかじりつく。
小さなロールパンはあっという間になくなった。
「もう1個食べていい?」
俺が頷くと、ヨアヒムは更に袋からもう1つパンを取り出して食べる。
「…ありがとう」
その言葉は、無意識に口から出ていた。
………ヨアヒムがお世辞じゃなく美味しいって言ってくれていることが伝わったから。
「え?」
「ううん、なんでもない」
…ずっと1人で篭ってパンを作っていたから、忘れていた。
どうして俺が親父の真似事をしてパンを作り始めたのか。
親父がパンを作っていたからじゃない。
親父のパンを食べて、笑顔になる人がいたから。
そんなことができる親父が、羨ましかった。
俺もああやって、誰かを喜ばせたいって…。
「ごちそうさま!全部食べちゃったよ」
「――あっ」
「…オットー?さっきからなんか変だよ?」
大丈夫?と目の前で手がひらひらと振られる。
大丈夫だよと笑い返して俺は立ち上がった。
「うっし、休憩終わり!」
「あっ、休憩だったんだ。ごめんね起こしちゃって」
「いいんだよ。お陰で大事なことに気づけたし」
「?」
食べてくれる人を喜ばせるために作る。
そんな当たり前のことを忘れて、ただ自己満足のため、ただ親父に認めさせるためだけにパンを作っていた。
きっと親父もそれに気づいていたんだろう。
客のことを考えていなかった俺に、店を継がせるわけにはいかないって。
「ヨアヒム」
「ん?」
「よかったらまた何か作るけど、何が食べたい?」
「うーん………。クロワッサンかな。できれば焼きたてがいい!」
「わかった。焼きたてのクロワッサンだな?」
次はもっと美味しいの作るから。
俺はそう約束して、店に戻った。

食べてくれる人が、ヨアヒムが一番喜んでくれるような。
そう想いながら作ったクロワッサンは、きっと、今まで作った何よりも美味しかった。















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愛情篭った料理は美味しいですよね、という話。 






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