「リーちゃんは…人狼だ!」

水晶球を抱えた幼い少年が、同じ頃の少女を指差す。
それに大人たちはどよめきをあげた。

「リーザが…!?」
「嘘…だろう?」
「嘘じゃないよ。今僕が嘘を吐いたって、村に何の得も無い」

ざわめきの中で、当の少女はじっと黙っていた。
無表情で、驚きも悲しみもせず。ただじっと。

その様子を怪訝に思った行商人が、少女の肩を叩こうと手を伸ばす。

「―――ふっ…くく…」

しかしやがて、少女の表情は歪む。
それは処刑への恐怖でも、占い師である少年への怒りでもない。

「あははははははは!!」

嘲りだった。
それが何に対してのものなのかは、誰にもわからなかったが。

「折角…もう少し楽しめると思ったのになぁ……ペタくんもひどいのね。リズを信じていたからこそ、占うって…。狼を狙って、もっと怪しい人占ってくれればよかったのに……」
「それは…」
「わかってる。今は一人でも信用できる"人間"がいるほうがいい、そう言いたいんだよね?」
「――――――-…」
「期待に添えなくてごめんね?」

友人の豹変振りに少年は驚きを隠せないようだった。
少女はその様子を軽く鼻で笑うと、目を閉じた。




[my name is Liesa]




――雪。
冷たい雪が、ワタシの全身を包んでいた。
何日も食事をしていないせいでお腹は空腹を通り越して既に痛い。
でも、その痛みも薄れ始めていた。
ワタシの意識と共に。

やっと死ぬんだ。そう思った。
苦しいだけの生から、やっと解放される。
こんな――人狼として生まれてきたせいで、憎まれ、蔑まれ、嫌われ。
命からがら生まれた村から逃げ出して、それでもその先に何も無くて。
それでも逃げたことだけは後悔していなかった。
打たれ斬られて死ぬよりは、この白い雪の中で眠るように死ぬほうがいい。


次は、誰からも愛される――人間に、生まれたい。



そう、思った。



「――大丈夫か?」

意識が半分以上白い世界に呑み込まれていたその時だった。
ワタシの頬に温かい何かが触れる。暫くしてそれがヒトの手だと気づいた。

「よかった、まだ生きて―――……」

そのヒトの手が、ワタシの頭を撫で、一瞬止まる。
そこにはワタシの耳がある。狼の耳。そしてその手は、確かにワタシの耳に触れた。

「…………」

目が上手く開かなくてそのヒトの表情は見えないけれど、きっと嫌がられたんだと思った。
ワタシは子供だけど、人狼だから。普通の人なら食べられるのを恐れて逃げるか、ワタシを殺そうとするはず。
そのヒトの温かい手はそっと離れていった。

「――少し、待っていてくれ」


温かい布のようなものがワタシに巻かれた。なんだろう、とぼんやりとした意識の中考えていると、少しして何かを引き摺るような音と共に足音が帰ってきた。

濃密な血の香り。

ワタシは無理矢理目を開けた。忘れていた空腹感が一気に蘇る。
そこには、真新しいヒトの死体があった。その横で優しく笑う、緑の服のヒト。
「こ…れ…」
「食べれるか?」
「あ……」
ワタシは手を伸ばす。まだ温かいその身体に触れて、そこからはもう止まらなかった。
夢中で貪る。空腹が満たされた頃、はっと気づくと緑の服のヒトは静かに微笑んでいた。

「あ―――…」
「…ん?」
「あ、…あの、あ…りがと…う」
「どういたしまして」

そのヒトは微笑んだまま。
ワタシがヒトを貪る光景からも、こんな…肉と血の香りからも少しも目を逸らさない。

「…あの、アナタ…は…?」
「ん?ソレは君のものだ。食べれるだけ食べてしまえばいい」
「そう…じゃなく…て、……もしかし、て、…人……狼?」
「ああ」

そのヒトは緑の帽子を取ると、茶色の耳をワタシに見せた。

「しんじ…られない」
「どうして?」
「だって…アナタからは……ヒトの気配しか…しない…」
「……まあ、長いこと人に紛れて生きているからな」

それで、とそのヒトが続ける。

「こんなところで一体どうしたんだ?…迷子、ではないよな。最寄の村はココから10キロは離れてるぞ?」
「………え…と…」
「………」
「逃げ、てきたの…。殺され、ると…おもった…から」
「…………これから行く当てはあるのか?」

ワタシは首を横に振った。
これから何処に行けばいいんだろう。
人狼として生きていくならば、ヒトがいる村に行って、食事をしないといけない。
でも、僻地の村出身のワタシにはヒトのいる村の場所がわからなかった。

「そうか…」

そのヒトは少し考えるように顎に手をあてて。
暫くしてワタシを真っ直ぐ見た。

「――私と一緒に来るか?」
「え?」
「どうせ私も一人旅だ。一緒に行く相手が一人増えたって、特に問題はないよ」
「で、でも…」
「……」
「…いい、の?」
「ああ」

そのヒトはふわりと笑う。
それはとても優しい笑顔で――…。

「……あの、もしかして」
「ん?」
「アナタ…は、女の…ヒト?」
「………参ったな。初対面であっさり見破られてしまうなんて久々だ」

その通りだよ、とそのヒトが笑う。

「…そういえば自己紹介がまだだったな。私はニコル。表向きはただの旅人だが、実際は食糧を求めて彷徨う狼だ。…君の名前は?」
「なま…え?」
「………。…まさか、ない、のか?」
「……うん。…いつも、ジンロウ、って呼ばれて…た」
「…そうか」

名前すら、ワタシにはなかった。
それをつらいと思ったことは、なかったけれど。

「なら、私が名前を考えてあげるよ。…それとも、自分で考えるか?」
「…名前…くれるの?」
「ああ。…そうだな…」

ニコルがワタシの横にしゃがんで、ワタシの髪をそっと撫でた。

「――…リザ……」
「…え?」
「…リーザ、はどうだ?」
「リーザ…。…うん!」
「……やっと笑った」
「えっ…あ…」
「…うん、これからよろしく、リーザ」

ワタシの手を、ニコルが取る。
ワタシは頷いて立ち上がったけれど、足に力が入らなくてすぐにまたしゃがみこんでしまった。
ニコルはひとつ頷いて、ワタシを背負った。

「…とりあえず、少し雪がマシになる場所に行こう」
「……うん」

その背中がすごく暖かくて。
ワタシはいつの間にか眠ってしまった。









それからワタシは、一月をニコルと一緒に過ごした。
時々道行くヒトを襲って食べたりしながら。
ワタシもニコルの狩りをお手本にして、ヒトを襲撃してみたりして。
上手くいくと、ニコルが褒めてくれた。

耳と尻尾の上手な隠し方。
ヒトの身体の美味しい部位。
ヒトの騙し方。
仲間との囁きの仕方。

人狼として生きていくために必要なことは、ニコルが全部教えてくれた。
だけど。

「―――――……」
「……どうしたの?ニコルお姉ちゃん」

ある夜のことだった。
ニコルは手にした地図と真剣ににらめっこしながら何かを考えている風だった。

「なあ、リーザ」

ニコルは、ワタシに問いかける。

「――リーザを、人間の住む村に連れていこうと思っているんだが…」
「……それって、村を滅ぼすってこと?」
「違う。…村の人間に紛れて生活させてみたいんだ」
「え――!?」
「…勿論、独りで住まわせたりしない。信頼のおける人の養子になってもらおうと思ってる」
「で…でも」
「……リーザがこれから生きていくには、人間との生活に慣れることが必要なんだ。…辻狩りだけで生きていくには限界がある。また、捕まりやすい。いつか来る血の宴のために…リーザには人と接する練習が必要なんだ。…私は、そう思っている」
「………………ね、え」
「………」
「ニコル…お姉ちゃんは…一緒、なの?」

横に振られる首。
金の柔らかなポニーテールが揺れた。

「私は一緒にはいられないよ。村で暮らす以上ね」

同じ村に3匹の人狼が揃うと、血の宴が始まる。
それはずっとずっと昔から言い伝えられてきた、本当の話。
だから人を襲う気がないのならば人狼は極力同じ村にはいないほうがいいのだ、と。

「……………」
「……リーザ」
「…わかったの。…もう、これ以上お姉ちゃんに迷惑かけられないし、ね」
「………すまない」
「ううん、大丈夫。リズ、頑張ってみせるよ」

精一杯強がって笑ってみせたけれど。
本当は…。本当は寂しくて……怖かった。

ヒトと一緒に暮らすなんて。






それから3日かけて南西に移動して、ついたところは物静かな感じの村だった。
ワタシと同じくらいの歳の男の子が、ワタシとニコルを物珍しそうに見る。

『大丈夫だ、人狼ってバレてるわけじゃないよ』
『でも』
『見慣れない顔だから、珍しいだけだ』

不安になるワタシの手を引いて、真っ直ぐ村の中央にある小さな家に向かう。
そして、コンコンコン、ときれいなリズムで戸を叩いた。

「――あらいらっしゃい、ニコル」
「ご無沙汰しています、大叔母様」

出てきたのは歳を取った女の人だった。…綺麗なニコルとは、全く似ていない。

「堅苦しい挨拶はいいのよ。…その子が手紙に書いてあった戦災孤児の子?」
「はい」
『えっ?』
『そういうことにしておいたほうが、あまり細かく聞かれずに済むからな』
『…うん』
「可哀想に…。辛かったでしょう。でも、もう大丈夫よ。これからは私を…ちょっと老けてるけど、お母さんだと思って、ね?」

「おお、来ていたのか」

階段から顔を出して、にっと笑った男のヒトもニコルとは似ていなかった。
そして、このヒトたちは人間なんだとわかる。
ニコルも殆ど人狼の気配を感じさせないけれど、この2人には気配が全く無い。
ああ…本当にヒトに囲まれて暮らすんだ。
不安になりかける私に、女のヒトがにっこりと微笑んで。

「大丈夫よ。心配いらないわ。私も夫も、あなたを心から歓迎するわ。ねえ、お名前はなんて言うの?」
「……リー…ザ」
「リーザ?素敵な名前ね。ねえ、あなた。そう思うでしょう?」
「ああ」

いつの間にか男のヒトも女のヒトの後ろに立っていて。
ワタシを優しい目で見つめていた。

「ねえ、ニコル。折角だし、お茶でも飲んでいかないかしら?」
「そうだな。アンネそっくりの美しい娘になった。是非話をしたいな。姪…君のお母さんは元気か?お父さんも」
「――ええ」
「そうかそうか」
「…でも、私は行くところがありますので…すいません」
「あら…随分急ぐのねえ」

『…ニコル…姉…?』
『……………』

「リーザ」

囁きでなく、耳に直接ニコルの声が聞こえた。

「いい子で暮らすんだぞ。…たまには手紙でも送るから」
「え…手紙…?…でも……リズ、字は読めない…よ」
「あら、それくらい。私が教えてあげるわ。これでも元教師なのよ」

女のヒトが自分の胸を叩いて、少し嬉しそうに頷く。

『…当分下手なことは書けないな』
『う…うん』
「――それじゃあ、よろしくお願いします」
「ええ、貴女みたいな素敵な女の子に育ててあげるわ」
「揶揄うのはよしてくださいよ」
「あら、私は本気よ?」
「こらこら、その辺にしておいてやれ。アンネと同じで照れ屋なんだから」
「大叔父様まで…」

ニコルは困ったように笑って、ワタシを見て。

「――元気で」

そう、言って、ワタシに背を向けた。












あれから数年。
ワタシは人間との生活にもすっかり慣れて、もう殆ど人間として暮らしていた。
友達もできて、毎日美味しい食事ができて、打たれることも、雨雪の中凍えることもなくて。
あの雪の日、ニコルと出会っていなければ。
この幸せはなかった。



――そして。




「……っ、やっぱり嫌だ!リーちゃんを処刑だなんて…!!」
「ペーター!?…いいか、お前がリーザを占ったら人狼だと出たんだろう?だから処刑しないといけないんだ」
「どうして、どうして?リーちゃんはきっと、いい人狼さんだよ。皆を食べたりしないよ!クララ姉だって…」

「…………………」



この苦しみも、なかった。



「…ペタくん」
「リーちゃ…」
「今日ね、リズはペタくんを食べようとしたの」
「…っ!?」
「でもね、狩人さんが邪魔したの。ペタくんはリズ…ううん、ワタシたち人狼にとって邪魔だから、さっさと殺したかったのに………」
「リ……ちゃ…」
「…わかった?ペタくん。リズは、狼なの。リズを見逃してくれるならそれは嬉しいけど、そうしたらリズはペタくんを殺すだけ。村の皆も」
「う…そ…どう…して……」

口元が歪む。
なんだろう、この気持ちは。
わからない。
幸せな日々の中では、知ることの無かった気持ち。


「――リズが狼だからだよ」



昨日の夜。
もしかしたら最後かもしれないと思ってニコルに手紙を書いた。
手紙の中に幸せなワタシをいっぱい詰め込んで。
最後に、ありがとうって伝えるために。


「じゃあね」


そしてワタシは絞首台に立つ。


「リーちゃ…!!」

声がしたけれど。
ワタシはその返事をする前に。
踏み台を、蹴飛ばした。







































































「―――そうか」


パキ、と小さな音を立てて枝が折れた。
一歩、もう一歩。緑の旅人が歩くたびにパキパキと音が響いた。
それ以外には、微かに虫の鳴く音が聞こえるだけ。

「あの子は死んだのか」

旅人の行く先を満月が照らす。
その先に旅人が見据えるものは――。






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