――半年後。

「………なんだ、こりゃあ」
行商人、アルビンはぽかん、とした様子で呟いた。
その村は以前来たときと一見何も変わらないように見えた。…だが一つ明らかに違っていたのは、村の中心にある宿がやたら派手な装飾になっていることだった。
「一体何が……」
見知ったその扉をくぐる。そこには。
「いらっしゃい」
「…………え!?」
オレンジの髪に水色のバンダナを巻いた、若い女性がいた。




[phase 8 -終わりのない友情-]




――宿。

「アタシはエルナ。本業は仕立て屋なんだけど、今は宿の経営も兼業でやってるのよ」
「よ…よろしくお願いしやす」
アルビンは恐縮したように頭を下げた。
「…あの…つかぬことを聞きたいんでやんすが、…この宿の女将の…レジーナさんは」
「――ああ…」
エルナは表情を曇らせる。…そして、ことのあらましを説明した。
「…そうで、やんすか…。…人狼が…」
「うん…」
「…………お墓参りがしたいでやんす。何処にありますか?」
「ええっと…うーん、口で説明するの面倒ね。今は暇だし、連れていってあげる」
「あ、ありがとうございやす」
アルビンはぺこりと頭を下げ、エルナの後をついていく。
…よくよく見たら宿の中もド派手だ。まるでドールハウスの中にいるような錯覚を覚える。
「あ…あの、この装飾は」
「ああ、コレ?アタシが作ったのよー。可愛いでしょ」
「…え、ええ。とても」
エルナの満面の笑みに、アルビンは本能的に"この人に逆らってはいけない"と悟ったのだった。




――教会裏。

教会裏の墓地に2人がつくと、既に先客がいた。黒い髪を短く切った青年で、とても熱心に祈りを捧げている。
「………」
「オットー!」
邪魔してはいけないな、とアルビンが思った矢先、エルナが大きな声で呼びかけ、手を振った。
青年は振り向き、立ち上がった。
「…エルナ…と、その人は?」
「宿のお客さん。行商やってるんだって」
「あ…ひょっとしてオットーさんでやんすか!?わー、ご無沙汰しています。アルビンでやんす」
「アルビ…ああ!久しぶり」
「知り合い?」
エルナがオットーの顔を覗き込む。
「おいらの師匠のお得意さんでやんす」
「最後に会ったのは…4年前だっけ」
「大人っぽくなったですねー見違えたでやんす」
「そっちこそ。一人前の商人って感じだよ」
「ホントでやんすか?」
「まあ、ガルドさんみたいな貫禄はまだないけどね」
「あはは、それは仕方がないでやんす」
和気藹々と話す2人に、エルナは満足そうに頷く。
「オットー、後頼んでいいかしら。アタシ仕上げないといけない仕事があったの思い出したの」
「え?」
「ん…別にいいけど」
「じゃあね」
宿に戻るエルナを見送り、オットーはそれで、と口を開いた。
「こんなところに一体何の用?」
「あ…その、人狼騒ぎがあったと聞きやして。それで墓参りをと…」
「……ありがとう」
オットーは柔らかい笑みを浮かべた。アルビンはそれに一瞬見とれ、ややあってハッ、と首をぶんぶん振る。
「そ…それにしても、オットーさんは無事だったんでやんすね」
「うん……まあね」
「よかったでやんす。……でも……お墓も…知ってる名前ばかりでやんす」
アルビンは一人一人の墓の前で丁寧に祈りを捧げる。そして、最後の墓の前に来た。
「…あれ、これは、どなたのお墓でやんす?……モニカ…?」
「ああ…それは……。ヨアヒムの妹だよ」
「…ヨアヒムさんに妹がいらっしゃったんですか?初耳でやんす」
オットーは曖昧な笑みを浮かべた。そしてアルビンの手を取る。
「…来てもらえるかな」
「あ…は、はい…?」
アルビンが連れて来られたのはパン屋だった。その中は、4年前にアルビンが来たときと然程変わっていない。
ただ、窓際の席の一つにセンニチコウのドライフラワーが置かれていた。
「………」
かつて、その席に座っていた青年の顔をふっと思い出す。
太陽みたいな笑顔の青年だった。
「その子の写真」
オットーは時計の裏から白い封筒を取り出し、中身をアルビンに渡した。
茶色の髪に、茶色の耳。真っ赤な瞳の幼い少女だった。
この、明らかに人間ではない少女がヨアヒムの妹ということは、ヨアヒムもまた、そうだったのだろう。だがアルビンはそれには敢えて触れなかった。
「………笑顔が、ヨアヒムさんに似てますね」
「うん、俺もそう思った」
写真と別にもう一枚、折りたたまれた紙があった。それを開き、アルビンは息を呑む。
「これ…これって」
「役所に届けられなかった出生届と証明書」
「なんでこんなところに…!」
「…………長い話だけど、聞く?」
「…聞かずに帰ったら気になって眠れないでやんすよ」
オットーはアルビンに席を勧め、コーヒーを淹れた。クロワッサンと共にアルビンに振舞うと、自分も向かいに座って口を開く。
重い話だった。ヨアヒムの両親は自らが人狼を産んだことに耐えられず、子供の存在ごとなかったことにしようとしたこと、ヨアヒムがそれに反対し、その子をこっそり森で育てていたこと、この村に伝わっていた神隠し伝説は、ヨアヒムの祖父、そしてヨアヒムが生きていくために、村の人たちを極力食べないようにと考え出したものであること、ヨアヒムも人狼であったこと、…全てをオットーは語った。
「…………そう…だったんでやんすか…」
「…ヨアヒムはただ、あの子を護るために必死だっただけなんだ」
オットーは薄いノートを取り出す。
「それは?」
「モニカが持っていたんだ」
勧められてアルビンはそれに目を通す。
それは、たどたどしい文字で書かれた日記だった。子供らしい、他愛のないことばかりが書かれている。
ぱらぱらとめくっていくと、写真が貼ってあるページがあった。満面の笑みを浮かべた少女と、ヨアヒムが写っている。
その下には今までのものとは違う、丁寧な文字が綴ってあった。
――最愛の妹、モニカへ。
10歳の誕生日おめでとう。プレゼントは喜んでもらえたかな。
耳と尻尾を隠すのも大分上手になったよね。
もっと上手に隠せるようになったら、ちょっとだけだけど、村に連れていこうって思ってるよ。
村にはペーターって男の子とリーザって女の子がいて、とてもいい子たちなんだ。モニカもきっと仲良くなれるよ。
いつも美味しいパンを作ってくれているオットーにも会わせてあげる。
もっと大人になったら、一緒に森を出よう。モニカにはもっと広い世界や楽しいことを教えてあげたい。
今窮屈な思いをさせてしまっている分、モニカには幸せになってもらいたいんだ。
だから…もう暫く我慢してほしい。時が来たら必ず、外に出してあげるから。
約束。
「………………」
アルビンは静かにノートを閉じた。言葉が出てこない。
オットーも黙っていた。じっとセンニチコウが置かれた席を見ている。
「…………」
「……あ、もうこんな時間…」
はっと時計を見、アルビンは席を立った。
「すいません、おいらはそろそろ戻りやす…」
「――ああ、うん。ごめんね長いことつき合わせて」
「いえ、話してくれてありがとうでやんす。それじゃ、またいつか」
ぺこりと頭を下げ、アルビンは外へと駆けていった。窓から差し込む光はいつの間にか赤い夕日の色に変わっていた。
「……………」
――オットー、今日はサンドイッチが食べたいな!
目を閉じて聞こえたのは幻聴だった。
いや、幻聴でもいい。聞こえるのならば。
その声、表情、仕草、何一つたりとも記憶の中から消えてほしくなかった。
ヨアヒムを殺したのは確かに自分だった。
そしてそれ自体は、村の平和のため、狩人として、決して間違いではなかったはずだった。
だが、オットーを襲うのは後悔と悲しみだけだった。それは半年経った今でも、いや、恐らく一生消えはしないだろう。
――夕日の赤が閉じた目に焼きついて、離れない。
「………っ…」
叶うならもう一度、あの扉を開けて、笑ってほしい――。
ただ、胸の内でそう叫んだ。




[Gomphrena globosa――終わりのない友情――]




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