――2日目、夜。

ヨアヒムは静かに扉を開け、リーザの部屋へと忍び込んだ。
リーザが眠っているのを確認して、そっとベッドへと近づく。が、その時。
「!」
ヨアヒムが気配を感じて飛び退いたと同時、床に銀の矢が突き刺さった。
『暁、今の音は』
『狩人だ!』
『…ちっ…逃げろ!』
『言われなくても!』
もう1本、矢が床に刺さった。今度は的外れのところに当たっている。…どうやら正確には部屋の様子が見えていないようだ。ヨアヒムは次の矢を放たれる前に部屋の外へと飛び出す。
外で見張りをしていた黎明を抱え上げ、端にある自分の部屋に滑り込んだ。
「…………」
『…やっぱり狩人もいるか…チクショウ』
『どうする…』
『仕方がない。……黄昏には悪いが、…あの女も切り捨てる方向で行く』




[phase 6 -銀のディタレンス-]




――3日目、昼。

「今日は…誰も襲われてないのかい?」
「うん。きっと狩人さんのお陰なの」
リーザが銀の矢を一本持ち上げる。
「リズの部屋にこれがあったよ。真夜中にリズを護ってくれたみたい」
「そうだったのかい…素晴らしいね!」
「…多分リーザが襲われたのは神父様の正体を有耶無耶にするためだったと思うんだけど…神父様は結局…」
「あ、そうなの。…ジムゾンおじちゃんは人狼だったの…」
ざわ、と声が上がる。
「やっぱり…」
「…ということは占い師は……村長が本物で」
「フリーデルは偽者…」
その日の処刑は論を待つまでもなかった。泣き崩れるフリーデルはトーマスなどの力強い男たちによって処刑所へと引き摺られる。
「うっ…ひっ…く…私は…私は…」
「……泣かないで、フリーデル」
ヨアヒムが静かにフリーデルの髪を撫でる。
「――――――」
そうして何事かを小声で囁いた。するとフリーデルはぴたっと泣き止み、幸せそうに微笑んだ。
その後は早かった。安らかな表情のままフリーデルは首を落とされ、死んだ。
「ヨアヒム」
「…何?」
「フリーデルに…何を言ったの?」
「……内緒」
オットーへの疑問にヨアヒムは悪戯っぽく片目を閉じて笑う。
『オレにも内緒か?』
黎明がそう囁いてくる。
『天国で黄昏が待ってるよ、って言ってあげた』
『ハッ…天国ねぇ』
黎明は誰にも気づかれないように笑みを浮かべる。
『さて…どうすっかな』
「それじゃあ私は一足先に休むよ…。今日の占い先はペーターだったな。…ペーター、また後で私の部屋においで」
「うん、わかった」
ヴァルターの呼びかけにペーターはにっこり笑って頷いた。
『…どうするんだ?占い師確定って結構厳しい戦いだと思うんだけど』
『普通の人狼たちならな。…オレは憑狼だ。今日の襲撃先は…あのピンクのオバサンがいいと思うが、どうだ?』
『………ああ、なるほど』
レジーナは今日の占いで人間と確定していた。その彼女に憑依すれば、まず処刑されることはない。
『了解。それじゃ今日の襲撃は黎明に任せる』
『その間に狩人探りよろしく』
『…了解っと』
ヨアヒムは周囲を見回した。
狩人の武器は、弓。恐らくボウガン。この中でボウガンを扱えて…かつ、宿の屋根裏に潜れそうな人物。
モーリッツはないだろう。手すりなしでは階段を上ることすらできない上に、非力だ。トーマスも筋力は十二分だろうが体格的に屋根裏に入れると思えない。レジーナならば屋根裏という宿の構造を理解していてもおかしくはないが、ボウガンを扱える力があるかは疑問だった。
ペーターでは"ありえない"。となると残りはディーター、カタリナ、ヤコブ、オットー。
「…………」
『ディーターかな』
『あの赤毛のならず者か?…まあ、可能性としては一番ありえそうだよな』
『明日うまいことディーターを占い先に挙げてみるよ』
『わかった』
「………いつになったら、終わるのかしら…」
カタリナが重い溜息を吐いた。ヤコブがそっとカタリナの背を撫でる。
それを見て、ヨアヒムも沈んだ表情のオットーに話しかけようか悩む。だが、やめた。
"約束を破った"自分が、オットーをこれ以上傷つけてはいけない。…そう思った。




――夢。

ヨアヒムは夢を見ていた。大樹の下でしゃがんで泣いているオットーに、幼い日のヨアヒムが声を掛ける。
――どうしたの、オットー。
――うっ…ひっく…お父さんと…お母さんと…リリが…じんろー…に…っ。
「…………」
それを"今"のヨアヒムは遠くから見ていた。…11年前の記憶。
――……。
どう声を掛けていいかわからなかった。11年経った今でもわからない。自分が食べたのではないとはいえ、僕も人狼だった。安易な慰めも、励ましも、何も僕が口にするには、オットーに聞かせるには適切な言葉ではない気がした。
だから、…どうしただろうか。
――……ヨア…?
――……………オットー…。
そう…そうだ。言葉が見つからなくて、それでもなんとか泣き止んでほしくて、僕はオットーを抱きしめた。
――人狼なんて…大嫌いだ…。
僕の胸の中、押し殺したように吐き出された声。
そんなことは言ってほしくなかった。だけど仕方がないような気もしていた。
オットーに人狼を憎むなと言うのは、無理な話だと思った。
だから、僕は代わりに誓ったんだ。
何があっても、…オットーにだけは、僕が人狼であることは…隠し続けよう、オットーにこれ以上苦しい思いはさせないように…って。
だから、嘘をついた。…だけどそれは本心でもあった。僕は、オットーを…。




――4日目、昼。

「どういうことだ…?」
ヴァルターはそう漏らした。…ヴァルターの占いの結果、ペーターは人狼だった。しかしそのペーターは、人狼によって殺されていたのだ。
「…リズにもわからないの」
リーザも困惑した様子で首を振る。オットーもわからないと首を振った。トーマスとモーリッツは懸命に文献をあさり、似たような事例がないかを探した。
「…おお、あった、あったぞ!」
トーマスがそう声をあげたのは、夕刻になってからだった。
「他人の姿を借りて生き延びる、憑狼というものがいるらしい」
「…え、ど、どういうことだ?」
「つまり、ペーターは憑狼に取り付かれていて…今日また別の人に憑依し直した、というところだろう」
「……そんな」
「ということは、この中の全員に人狼の可能性が…?」
「…冗談じゃないわ…。折角占い師も霊能者も1人に絞られてるって言うのに!つまり、その人も信用できないってことでしょう!?もう嫌!!」
「カタリナ!!」
「………」
結局その日の議論は混乱したまま、ディーターを占い、モーリッツを処刑することに決まった。モーリッツが疑われた原因は、あまり多くを喋っていなかったことだ。…何かを隠している、そう皆に思われてしまったのだ。
『――贖罪の山羊』
黎明がそう呟く。
『予定通り、ディーターを占いに挙げられたけど』
『オレが憑く。うまくいけば狩人のフリも可能かもな』
『オッケ』
ヨアヒムは頷いた。そして闇の中にある森に視線を移す。
――お腹、空かせてないかな。
こっそり様子を見に行こうか。そんなことを考えていたら、腕を誰かに掴まれた。
「…オットー?」
「ヨアヒム、ちょっと…いいかな」
「何?」
ヨアヒムの腕を引き、真っ暗な路地裏へと進む。
「…ここならいいか」
「……オットー?」
「…11年前にヨアヒムが俺に言った言葉、覚えてる?」
「え…」
暗闇の中、だが人狼の目を持つヨアヒムにはオットーの表情ははっきりと見えた。
疑いの視線。それと同時、信じたいと縋るような瞳。
それが混ざり合った、複雑な表情をしていた。
「……覚えてるよ」
きっと、憑狼の存在が明らかになったことで不安なんだろう。そう思って、ヨアヒムはそっとオットーを抱きしめた。あの日のように。
「……!」
「………護るから。もう二度と、オットーが人狼のせいで苦しまなくていいように。…僕がオットーを護るから」
―――結局守れなかった約束を、呟く。
血の宴を引き起こしたのは間違いなくヨアヒム自身だった。両親を殺さなければ、パメラのことは夜盗の仕業ということで片付いたはずだったのに。ジムゾンが、フリーデルが、処刑されることはなかったのに。
だけど――……ヨアヒムにはもう一つ護るべきものがあった。
大切なものを護るか、村の平和を護るか――天秤にかけるまでもなかった。
「…覚えてて、くれたんだ…」
「当たり前でしょ?」
村人は―――目の前のオットーさえ生き残ってくれればそれでよかったから。
もう一つの"護るべきモノ"は永遠に隠してしまえばいい。あの森の中に。
そう、その二つさえ護れれば、他のものなんてどうなったって。
「よかった…。…憑依されてなくて」
「…そんな心配してたの?」
「そりゃ…するよ。……最近のヨアヒム、今までと様子が違ったし…」
「……ああ、うん。…ちょっと…ね。…パメラのこともあったし、…心配かけてごめん」
パメラ、と言った瞬間オットーの身体が微かに震えたのがわかった。
「…オットー?」
「……あのさ、1つ聞いていいかな」
「何?」
「本当にパメラとは何もなかったの?」
「何もないってば」
「本当…?」
じっ、と疑いの視線がヨアヒムを見る。…さっきより疑いが強いような気がするのは気のせいか。
「本当だよ」
「…………」
「パメラとは、何もなかった」
「本当に本当?」
「しつこいなぁ」
オットーを抱く腕に力を篭めた。オットーの頬が赤くなるのがわかる。
「…なんでそんなにしつこいのやら。僕が誰を好きでも、オットーには関係ないんじゃない?」
「…っ、そ、そうだけど。やっぱり友達として知っておきたいし」
「ふぅん…」
「な、何その返事」
「別にー?」
くすくす笑いながら腕を緩めるとオットーはすぐさまそこから抜け出した。
「……もう夜遅いから帰るよ」
「うん」
先にずんずんと歩いていくオットーの背を追いながら、ヨアヒムは再び森を見た。
――まあ、大丈夫か。
それに今、下手に接触を持つと危ないかもしれない。そう思いなおすと、ヨアヒムは宿へと帰っていった。




――5日目、昼。

人狼に襲撃されたのはレジーナだった。
「ディーターは人間だった…が、今のディーターが人間だとは断定できない」
「占いの意味がなくなってきてるな」
ディーターはそう言い、苦笑いを浮かべた。オットーはちら、とディーターを見、声を掛ける。
「ディーター」
「何だ?」
「この前くれたやつが足りなくなってきたんだけど、予備あるかな?」
「…この前くれたやつ…ええと、どれのことだ?」
『おーい、暁ー…』
『し、知らないよ…。オットーとディーターに関係があったってこと自体僕は初耳…』
「………この前倉庫でくれたやつ」
「……………」
「まだ一週間くらいしか経ってない上に、結構重要なものだったと思うんだけど。…まさか忘れたの?」
「えと…ああ、思い出した。あれだな。あれ。…今切らしててな。もう暫く待ってくれないか。この騒ぎが終わるまで…」
「それじゃ遅いんだよ!…というより、この騒ぎが終わったら必要じゃなくなるってディーターなら…知ってるはずだろう…?」
オットーの疑惑の目が、確信に変わる。…そして。
「ディーター、…いや、貴方は憑狼だよね?」
ヤコブが2人を交互に見る。
「ディーターなら知っているはずのことを知らない。おかしいんだ」
「ま、待て待てオットー。その、ディーターなら知っているはずのものって何だ?本当にディーターが忘れているだけかもしれないし」
「…それは言えない。でもディーターが知らないはずはないんだ。これを忘れるなんてことはありえない」
おずおずとカタリナが声を掛ける。
「ねえ、ディーター…ひょっとして私とした約束も覚えてないの?」
「…え?」
「私と結婚しようって約束してくれたじゃない!うそつき!」
「なっ…!?」
真摯な目で見つめるカタリナにディーターはたじろぎながらも頷いた。
「い、いやそれは覚えて…覚えてるよ。うん」
「……………そんな約束してないわよ。大体、私とディーターって今までろくに会話もしたことないじゃない」
「………………」
『あー…やっちまったなぁ』
『…ごめん、流石にこれはフォローできない』
『チッ、憑狼の存在を明らかにさせるような動きはやっぱりまずかったか…』
ディーター…黎明は静かに目を閉じた。
そして、処刑の時間。冷たく見守る皆に薄笑いを浮かべながらディーターは首を刎ねられた。
『さよなら、黎明』
ヨアヒムはそう呟く。
何処か悲しげな表情のオットーを横目に、宿へと帰っていった。
皆が寝静まったころ、リーザの部屋へと向かう。最初に食べ損ねた彼女の部屋に音もなく忍び込むと、その身を貪った。
「必ず…護るから」
襲撃の興奮で上ずった声で、ヨアヒムはそう呟いた。




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