――森の奥。
「――――――――――」
ヨアヒムは転がる死体を見下ろし、パメラに目を向け、そして、冷え切った表情で嗤うジムゾンを見た。
あの後、二人はうまく男たちを森に追い込み、この泉まで来た。先回りして待機していたジムゾンが男たちを一瞬で仕留める。
その姿は鮮やかだった。ジムゾンが狩をしているのを見るのは初めてだったヨアヒムは、畏怖に身を震わせる。
「うわ、ぐっちゃぐちゃ。どうする?食べるか?」
「私はいらない。そんなモノを糧にしたいとは思わない」
「暁は?」
「…少し貰う」
二口だけ肉塊をつまんで食べると、ヨアヒムはジムゾンをもう一度見た。
「あの…さ」
「…ん?」
「………いや、やっぱりいいや」
「……多分、暁が考えていることで、間違いはないよ」
「…………そう、か」
ヨアヒムは俯いた。
突然元気を無くしたフリーデル、隣村でシスターを強姦したという男たち、ジムゾンのかつてないほどの怒り。…それが意味するものは、たった一つだった。
「…フリーデルは、大丈夫?その、体調とか…えっと…」
「………妊娠した」
「え…!?」
「この3人の誰の子かもわからない。彼女は…今、身体的にも精神的にも不安定な状態だ…。…この男たちを殺せたのは喜ばしいことだが…彼女は……」
「……簡単な解決策があるぜ」
むしゃむしゃと肉を食べながらパメラがそう呟く。
「お前があの女を食べればいい。そうすればあの女も苦しみから解放されるぜ」
「…!?そんなこと…!!」
「黎明!」
「………ま、1つの案だ」
たっぷり食べて満足したのか、パメラはお腹を押さえてにまっと笑う。
まだ残っていた肉をつまみ、何処かへと歩き出す。
「お、おい何処に?」
「まだ腹を空かせてるヤツがいるんだろ?この森の中にさ」
「……!?」
「…黎明。…貴方は一体何処までこの村のことを知って…」
「………さあ、ね。ただ長く生きていれば、黙っていてもわかるものがあるってことだ」
『さて、何処にいる?お嬢さん』
くくっ、といつもの笑いを浮かべてパメラはそう囁いた。
[phase 4 -前夜葬-]
――宿。
レジーナは不安げに時計を見上げた。
既にパメラとヨアヒムが宿を出てから2時間が過ぎようとしていた。
2人とも無事に家に帰ったのならばいい。だがもし…どちらかあるいは両方に何かあったとしたら。
結局一睡も出来ずに朝を迎える。パメラの家まで様子を見に行こうと立ち上がったその瞬間、外から大声が聞こえた。
「――本当だよ、ボク見たんだ!!」
ゲルトの声だった。
何事だろうと表に出る。そこにはゲルトを中心とした人だかりができていた。その中にパメラとヨアヒムの姿を見つけ、レジーナはこっそり安堵の溜息を吐く。
「見間違えじゃないの?狼なんて…」
「本当だって!!それにただの狼じゃないって何度も言ってるだろう!?」
カタリナに反論され、ゲルトはさらにヒートアップする。
「ちょいとちょいと、何があったんだい」
レジーナは近くにいた人をつかまえ、詳細を聞く。
「ゲルトが狼を見たんだってよ」
「物陰から突然狼が飛び出してきて、人を追いかけて森に入ったらしいよ」
「狼じゃなくて、人狼!!物陰から飛び出してきたときは確かに人間だったんだ、でもその直後にぶわって姿を変えて狼に…っ!」
「狼少年ごっこもその辺にしておきなよ」
「本当なんだって!!」
「…人狼…?」
レジーナは困惑した。そんなまさか、と。
だがゲルトが嘘をついているようには見えない。
「全く朝からなんだと思ったら…。仕事に戻るよ」
「私も」
「じゃあな、ゲルト。次はもっと面白い嘘を…」
「本当なんだってば〜!!」
1人が呆れて帰ると、1人、また1人と仕事や家に戻っていった。しょんぼりしているゲルトに、パメラがそっと声を掛ける。
「…あたしはゲルトを信じるわ」
「ほ…本当?」
「うん。ゲルトが嘘を言ってるようには見えないもの。…でもそれだと重要なのは、その人狼が今もまだこの村にいるかどうかなのよ。ねえゲルト、どこまでその最初に飛び出してきた人影のこと覚えてる?」
「え?…えっと…」
「…パメラ、立ち話もなんだし」
「そうね。…じゃああたしの家に来て。じっくり聞かせてほしいわ」
「う…うん」
パメラはゲルトの腕を引き、歩き出す。
「…お待ち、パメラ、ヨアヒム!」
はっ、と気づいてレジーナは二人を呼び止めた。
「あ、レジーナおはよう」
「2人とも、昨日は無事だったのかい!?あの男たちは…」
「パメラも僕もちゃんと家に帰ったよ。あの男たちが何処に行ったかは知らない」
「…………」
「…もういいかな。僕もゲルトの話聞きたいし」
「…え、ええ」
ヨアヒムは話をさっさと切り上げると、パメラとゲルトの後を追った。
レジーナはその背を見送りながら…胸騒ぎを覚えていた。
――翌日、宿にて。
パメラとその両親が無残な遺体で発見された。
朝、村長のヴァルターが村人全員を招集し、そう告げた。皆は一瞬静まりかえったあと、急に騒ぎ出す。
「ほらやっぱり!!人狼がいたんだ!」
大声でそう叫んだのはゲルトだった。ヴァルターはそれに対し肯定も否定もしない。
「人狼と断定するのはまだ早い」
「でも、この村の中にパメラの家族を殺すような悪い人がいるとは思えない!人狼の仕業に違いないよ!」
「物盗りの仕業じゃ?」
「いや、金目のものは手付かずだったそうだ」
オットーは静かに目を閉じた。
パメラの遺体を見たオットーには確信があった。あれは人狼の爪の痕だと。
終わりの見えない議論にヴァルターは一度溜息を吐き、十分気をつけて夜間はできるだけ大勢で過ごすように、必要ならばレジーナの宿に避難するようにと指示をし、その場は一度解散となった。
パン屋に戻る途中、若い女性2人の話が耳に入った。
「――マリオンさんどうなさいます?」
「…いい機会だし、暫く旦那のところに身を寄せようと思って。だってねぇ、怖いじゃない」
「ああ、そういえば旦那様今出稼ぎに行ってるんでしたっけ」
「お宅はどうされるの?」
「うちも親戚のところにお世話になろうと思って」
「そうよねぇ、他所に行くのがいちば…」
2人はオットーの姿を見、声を潜めた。オットーはそれに気づかない振りをし通り過ぎる。
オットーには家族もいなければ、親戚もいない。あの惨劇のあと、その村の人間が気を利かせてこの村まで送り届けてくれたがその後面倒を見てくれたのは近所の人たちだった。
だから当然村の人はオットーの境遇を知っているし、それを同情されることもしばしばあった。
「…………」
村を離れる、その選択肢はオットーにはなかった。行き場もないし、大切な人たちが沢山いるこの村を離れたいとは思わなかった。
「…さて、急がないとランチの時間に間に合わないな」
少し急ぎ足でパン屋へと戻る。そうしていつものように、パンを焼き始めた。
午後2時。扉が開く音に、ヨアヒムが来たのかとオットーは振り返ったがそこにはゲルト、ヤコブ、そして羊飼いのカタリナがいた。
「…あれ、また珍しい組み合わせだね」
「うん、これからどうしようって相談しようと思って」
「宿でもよかったんだけどさ、宿ではレジーナやヴァルターたちが会議やってるから」
席について最初に口を開いたのはカタリナだった。
「皆暫く村を離れようって言ってるのよね。でも…私は羊を置いて何処かに行くわけにはいかないから、村に残るつもり」
「おらも畑ほっぽりだすワケにはいかないだ…」
「ボクは残るよ。人狼は怖いけど…というか、今大学に戻れないんだよね。色々あって…」
「…ねえ、オットーはどうするの?」
「…俺?残るつもりだよ」
「よかったー。オットーが残るならとりあえず食糧事情については安心だね」
「何言ってるのさ」
「いや、だって。残っても食べるものがないってことになったら…出るしかなくなるじゃん」
「確かに」
皆の顔を見ていると、なんとかなりそうな気がしてくる。不思議なものだ。
「ところで、ヨアヒムは?この時間帯ならここにいると思ってたんだけど…」
「呼んでこようか?」
「あ…。…今はそっとしておいたほうがいいかも」
「……へ?…ああ、うん。そうだな…」
オットーはこの間のヨアヒムとパメラのことを思い出していた。きっとヨアヒムは落ち込んでいるだろう。今はそっとしておいたほうがいいような気がした。
「でも、ここにいる皆が残るってことは他の人も結構残るのかな?」
「いや…村の外に身を寄せるアテがある人は皆出ていくみたい」
「確実に村に残るってわかってるのはボクらと、レジーナとヴァルター」
「モーリッツおじいちゃんはどうせ老い先短いから…って言ってたわ。残るみたい」
「ジムゾン神父とシスターフリーデルも残るみたいだ。それも神の…なんたらって」
「後確認取れてないの誰だっけ?ディーターは普段何処にいるのかすらさっぱりだし…」
「トーマスは多分残るんじゃないかな…」
「ペーターとリーザの家は?」
「さっきの宿の集まりの後話し合ってただが、迷ってたみたいだよ」
「…ヨアヒムは?」
「あ。…どうせここにいると思ってたから確認取ってない」
「後で聞いてみようか」
そこでようやく話は収束した。タイミングを見計らっていたオットーが、ミニドーナツを振舞う。
「ありがとう。…やっぱり、こういうときには甘いものが一番ね」
カタリナがふふ、と笑ってドーナツを口に含む。カタリナも親友のパメラを喪ったのが堪えているようだった。
じゃあこれを食べ終わったらヨアヒムの家に確認に行こうという話になり、暫くは皆辛いことを忘れて甘いドーナツに舌鼓を打つのだった。
――同時刻、ヨアヒムの家。
「――は…はは……」
乾いた笑いを浮かべながら、ヨアヒムは壁に寄りかかり、そのままずるずると座り込んだ。
血溜りが服に染み込んで汚れていく。だがそんなことは気にならなかった。
「…やっちゃった…。……あ…はは…」
目の前には両親の無残な姿。怯えた顔が死して尚ヨアヒムを凝視する。
「本当に…僕が人狼だとは、思ってなかったんだね。…馬鹿みたい」
血塗れの狼の腕を暫く眺め、人間のそれに戻す。
ずっと両親にも隠してきた。祖父が人狼であること、その娘である母親は"たまたま"人間として生まれてきたこと、その子供は隔世遺伝によって人狼の生を受けたこと。
何もかも、全部。
「これでよかったんだよ…ね、モニカ」
ヨアヒムは静かに呟いた。
とりあえず、身体を洗って服を替えよう。そう思って立ち上がった途端、囁きが耳に飛び込んできた。
『暁、今から皆がお前の家に向かう』
『え』
『もうすぐつくけど…大丈夫か?』
『…もっと早く教えてくれよ!』
んなこと言われたって、と黎明はぼやいた。…シャワーを浴び始めていなかったのは不幸中の幸いだったかもしれない。服を替えている時間はない。手を洗っている時間すらないのだ。迷った挙句、ヨアヒムは森に面しているほうの窓を開けた。狼の姿になって飛び出す。視界の端にボール遊びをしているペーターが映った。…ああ、幼い子にはできれば手をかけたくなかったのだが。
そのままヨアヒムは森へと一直線に飛び込んでいった。
暫くして、村のほうから悲鳴が聞こえた。…恐らく誰かが両親の死体を見つけたのだろう。辛うじて間に合ったらしい。
『ありがとう、黎明』
『どういたしまして、っと。お前今何処だ?』
『とりあえず森に逃げた。でも途中でペーターに見られた』
『人間の姿を?』
『いや、念のために完全に姿は変えたからそれは大丈夫だと思う』
『ペーターってあのガキだよな?…うん、わかった。適当になんとかしておく』
『…よろしく』
泉までたどり着くと左右を確認してからヨアヒムは再び人間の姿に戻った。服を着たまま泉に飛び込む。数十秒潜った後、水面から顔を出した。
泉は血の色に染まる。だがこれもきっと翌日には全て消えているのだろう。
この泉に財宝があるというのはかつてヨアヒムの祖父が吐いた大嘘だったのだが、この泉に不思議な力があるのは間違いないようだった。ヨアヒムたちは食事を終えると残った肉や骨はこの泉へと沈めていたが、翌日になればこの泉は濁り一つない綺麗な水へと変わっていたのだ。自浄作用でもあるのかと首をかしげる。
「まあ、楽でいいけど…」
適当なところでヨアヒムは泉から上がる。そして服を適当に絞ると更に森の奥へと向かって歩き出した。
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