――深夜、教会。

フリーデルは自らの身体に訪れた異変に気づき、泣き崩れた。罪深い私をお赦しくださいと何度も何度も涙交じりの声で口にする。
ジムゾンはその様子を見て強く唇を噛んだ。フリーデルのせいではないのに、何故フリーデルが苦しまなくてはいけないのか。緩やかに顔を上げ、天井をぼんやりと見つめた。
早く彼女を解放したい。全てを赦し、二人で何処か遠くへ逃げてしまいたい。だが"まだ"神父という立場である上この村を勝手に離れるわけにはいかなかった。出した書簡への返事は来る気配がない。
『――"暁"』
なんとなく誰かに縋りたくて、頭の中で仲間の名前を呼んだ。きっと起きているはずだと信じて。
『…おや?この村にはもう他に狼がいるのかぁ?何処だ?』
ところが、返ってきたのは聞きなれない声だった。
『……!?…誰だ』
『誰だってイイだろう。オレはオレだ。間違って襲っちまわないように顔くらい見ておきてぇ、何処にいる?』
『………教会だ』
ジムゾンの心臓が早鐘を打つ。これで村には……。
『よぉ、どっちが仲間だ?神父か?尼さんか?それとも両方か?』
―――人狼が、3匹。




[phase 3 -前夜奏-]




――昼下がり、パン屋にて。

「聞いたかい」
ゲルトは神妙な顔をしてオットーと、昼食を食べに来ていたヨアヒムに言った。
「何が?」
「森の近くで女の死体が見つかったって話さ」
「…そうなの?」
オットーはヨアヒムに確認を取った。ヨアヒムの家は森に比較的近い。
ヨアヒムは静かに頷いた。
「泉からの生還者だって、皆騒いでた」
「そう…だったんだ。知らなかった」
「僕はただの行き倒れだと思ってるけどね。薄いワンピース1枚で泉に向かっていったとかありえないと思うから」
「そう!ボクもそう思ってたよ」
ゲルトが嬉しそうにヨアヒムに同意した。ヨアヒムはそれに特に反応はせず、サンドイッチの最後の一欠片を口に放り込む。
「あの格好は森に向かう格好じゃない。そして村の人でもない。だからボクは何か事情があって放浪して、ついにこの村で力尽きたんじゃって思ってるよ」
「事情ってどんな事情?」
「え、うーん…。…何かお家事情で逃げ出したとか」
「こんなど田舎にそんなお家事情がありそうな有名所なんてあったっけ…」
「えーっと、リスト家は」
「あそこに年頃の娘はいないよ。男兄弟3人と、去年生まれた娘が1人」
「むー…」
「単なる家出とか駆け落ちとかそっちのほうがまだありえそうじゃない?」
「そーかな…」
議論を始めたヨアヒムとゲルトは放っておこう、とオットーは厨房に戻った。それとほぼ入れ替わるようにパン屋に別の客がやってくる。
「こんにちは」
「わお、久しぶり!」
「…あっ」
『ゲルト』
ヨアヒムが頭の中で呟く。
「…久しぶり、ゲルト」
『村一番の金持ちの1人息子。街で学生やってる。今は短期帰省中』
「いつの間に村に戻ってたのね」
「うん、昨日ね。もう1,2週間したらまた大学に戻らないといけないけど」
「そうなの、大変ね」
「お茶飲みに来たんでしょ?ささ、座って座って」
「ありがとう」
促され、その人は席についた。話し声に気づいたオットーが厨房から戻ってきて、紅茶でいいよね、と確認を取り再び厨房に消える。
『………お前は誰だ』
ストローを唇で軽く噛みながら、ヨアヒムはその女性、パメラを睨んだ。
いや、パメラではないという確信はあった。まず纏っている雰囲気があまりに違いすぎる。
『誰って、パメラだけど』
『嘘吐け』
「はい、お待たせ。パンは何がいい?」
「ありがとう。うーん、何かオススメはあるかしら?」
「オススメ?そうだなー…クロワッサンなんかどうかな」
『パメラはいつもフレンチクルーラーを一緒に食べる』
『今日はたまたま気が変わったのよ?』
『やっぱりパメラじゃない。パメラはダイエットのためにフレンチクルーラーなんてベタベタに甘いモノ絶対食べない』
『………ははっ、なんだやっぱり無駄か。シラ切って悪かったな。あと、感謝してるぜ。そこの金髪のコト教えてくれて』
『バレたら面倒だ』
『賢いヤツだな』
「お待たせ」
「ありがとう」
『オットー』
「オットー」
「どういたしまして」
オットーは微笑んでまた厨房へと戻っていった。ゲルトはちら、とヨアヒムとパメラを見。
「なんでずっと黙っちゃってるのさ二人とも。…あー、まさか」
「何邪推してるんだ、ゲルト」
「別にー?ボクお邪魔みたいだから帰るね?」
ヨアヒムが二の句を継ぐ前にテーブルの上に硬貨を置いて、またね、とゲルトは去っていった。
「………」
「…………いっちゃったわね」
「うん」
『食べ終わったら出よう。お前とは色々話しておくことがありそうだ』
『奇遇だな、オレもそう思ってたぜ』
「うふ、じゃあいただきます」
パメラは満面の笑みでクロワッサンにかじりついた。




――ヨアヒムの家。

『ここなら人目を気にせず済む』
『人目…ねぇ』
二階にあるヨアヒムの自室に通され、くっくっ、とパメラが笑う。
「パメラはそんな笑い方しない」
「人目を気にしなくて済むって言ったのはお前だ」
「それでもパメラとしてやっていくならその笑いはやめてくれ」
「どーすっかねぇ」
パメラはベッドの上にどっかりと座り込む。ヨアヒムは自分の椅子を引こうとして…まあいいかと自分もベッドの上に座った。そして意識を集中させる。
『――"黄昏"、聞こえてる?今大丈夫かな』
『…聞こえているよ。…その前に…パメラのこと…暁に知らせるのが遅くなってすまなかった』
『大丈夫。何とか乗り切ったから』
『暁に黄昏ねぇ、カッコいい名前じゃねぇの。オレはこの村では何て名乗るかなあ』
『……その前に、お前は一体何者なのか説明してほしい。…人狼、なんだよな?でもパメラの元の人格はない…』
パメラはにっ、と笑った。ベッド横の窓から一瞬だけ外を見、すぐに視線をヨアヒムに戻して言う。
「オレは憑狼だ」
『…憑狼?』
『我々人狼の始祖に当たる者の一だ。始祖の中で唯一、魂だけで生き延びる存在』
『魂だけで…』
『簡単に言えば、食った相手に取り付く狼だな。オレの食い方は上品だから、お前らただの獣みたいにぐっちゃぐちゃにしたりしないぜ』
『…まさか』
『今朝村はずれで見つかった女性の遺体ですが…』
『そう。オレはそいつからこの娘へと憑依した。…つまりこの娘の肉体はオレのもの、娘の魂はもう死んだ』
「…………」
「…驚いた?」
「……別に」
「強がりね」
「………………」
ヨアヒムは視線をそらした。言葉遣いからしてパメラの中にいる憑狼とやらは男なのだろうが、見た目パメラそのものだ。村一番の綺麗どころに至近距離で見つめられるとその気もないのに照れてしまう。
『それで、どうする』
『どうするって何が』
『わからないのか?人狼が3匹揃った。…つまりそれは、宴の始まりだ』
「……!」
「どうしたの?」
目を見開いたヨアヒムに、パメラがすっと手を伸ばす。その頬に触れ、くすくすと笑った。
『僕は…嫌だ。この村を…滅ぼすなんて…』
『私もだ。元々この村の者でない私はとにかく…暁には…護るべきものが沢山、この村にあるんだ』
『ふぅん。ま、オレは普通の人狼と違って必ずしも食欲と伝承に従って生きるべき存在ではないからな』
ただ始祖として死ぬわけにはいかねぇ、とパメラは口にする。
『それに幸いこの村では村人を襲わなくても食料が尽きることはない』
「何故?」
「村の奥に泉があってその泉に沈んでいるって財宝を狙う奴ら……んっ…!?」
唐突だった。再びパメラがヨアヒムの頬に手を伸ばしたかと思うと、急にその頭を抱き、口付けてきたのだった。
「!?」
そしてそのままベッドの上に押し倒される。
「な、何するんだっ!」
慌てて押し返そうとするも、憑狼の力なのか、全く歯が立たない。
見た目はパメラそのものなのに。
『力でただの人狼風情がオレに勝とうなんて、無駄だぜ?』
「こ…のっ、離せ!!」
『……暁?憑狼さん?もしもし?』
『オレのことは黎明って呼ぶとイイゼ。始祖だし、ちょうどいいだろ』
ヨアヒムは腕にありったけの力をこめた。すると突然押し付けてくる力がなくなる。
「きゃっ!」
どさっと突然ヨアヒムの胸の中に飛び込んでくる。一瞬訳がわからずぽかん、としていると扉が開く音がした。
「………あ」
そこには、何故かオットーが立っていた。ヨアヒムの頭の中は混乱で真っ白になる。いつからいたんだろうか、会話を聞かれてはなかっただろうかと己の正体がバレたのか否かを咄嗟に考え、この構図が傍からどう見えているかなんてことにまでは全く気が回らなかった。
「…え、と。さ、財布忘れてたから届けにきたんだけ…ど。あ、えっと、その、離せ…って聞こえたから何事かと思って、つい…勝手に上がっちゃった…んだけど」
「………え…?」
「う、…えっと…邪魔してごめん!!お邪魔しました!」
「ちょ、オットー!?」
訳もわからず追いかけようとして、完全に圧し掛かっているパメラの存在をようやく思い出した。と同時、オットーがとんでもない勘違いをしていったことに気づく。
「どけ!!」
「女の子に向かってその言い方って…きゃあっ!」
『うるさい憑狼!!絶対わざとだろ!!』
『…ちょっとしたお遊びだったのに』
『二度とやるな!!』
『…ふ、二人とも…?』
遠慮なくベッドからパメラを蹴り落とすと、ヨアヒムは大慌てでオットーの後を追った。




――大樹の下。

オットーは大樹の幹に手をつき、荒い息を吐いた。こんなに全力で走ったのは久しぶりで、体がすぐに限界を訴える。
――ヨアヒムとパメラが。
それは冷静に考えれば何の不思議もないことだった。若い男女の間に恋愛感情が生まれることは全くおかしなことじゃない。
なのに何故だろう。オットーはひどく動揺していた。
動揺しすぎてせっかく届けに行った財布をまた持ってきてしまう始末だ。
「…明日でいいや」
無理やりそう結論付けて帰ろうとする。その時、名前を呼ぶ声が聞こえた。
「オットー!」
ヨアヒムも全力で走ってきたのか息を切らしていた。もっとも、ヨアヒムは体力もあるのですぐに立ち直り、そしてすぐに、さっきのは誤解だから、と口にした。
「誤解…?」
「…パメラとはっ、何もないから!なんかきっと勘違いされてると思うんだけど!」
「……じゃ、二人きりで一体何してたの?」
「えっ、…えと、話してたんだよ!」
「何の話?話だけならあのままお店でしててもよかったんじゃ」
「ひ、人に聞かれたくない話だったんだ」
「俺にも?」
「う…うん」
「そっか」
「あ…あんな体勢になったのはっ、ちょっとバランス崩しただけで!ホント偶然で!」
「………どうしてそんなに必死に弁明するの?」
その質問に、ヨアヒムは固まった。あー…うー…と逡巡するものの、適切な言い訳が見つからない。
「心配しなくても誰かに言いふらしたりとかしないよ。はい、お財布返すね」
オットーは自分でも不思議なくらいに冷静になっていると感じた。さっきまであんなに動揺していたのに。今は何か冷え切ってしまったかのようだった。
ヨアヒムが何かを言う前に、オットーはパン屋へと駆け戻った。一瞬、ヨアヒムが追いかけてくるのではと思ったが、それはどうやら思い過ごしだったようだった。
「はー……」
どっと疲れが押し寄せてきて、今日はもう店じまいしてしまおうかなんて変な方向に思考が飛んでいた矢先、視界に何か赤いものが映った。
「よぉ、オットー。邪魔するぜ」
「…ディーター?いらっしゃい。何がいい?」
「いや、今日はパンじゃなくてだな」
「?」
赤毛のならず者、ディーターはそう言い、珍しく真剣な目でオットーを見た。
「お前に話があるんだ」
ついてきてくれと言われ、オットーはきょとんとしつつもディーターの後についていった。




――ヨアヒムの家。

パメラは、ヨアヒムがいなくなった後、部屋を適当に物色していた。
「なーんも面白いもんねーな。エロい本とか見つけたらベッドの上に広げておいてやろうかと思ったのに……ん?」
パメラは部屋にある壁掛け時計の裏に何かがあるのを見つけた。手を伸ばすも女の身長では届かず、仕方なく椅子の上に乗ってそれを取った。
裏にあったのは白い封筒だった。僅かにだが埃が被っており、封はされていない。
「なんだ?ラブレターか?」
興味本位でその封筒を開ける。すると、中には一枚の紙と、写真。
「……………………」
パメラの顔から笑みが消えた。暫く紙と写真を見比べたあと、ふん、と鼻を鳴らす。
「なるほど。あいつの護るべきモノって、"コレ"のことか」
封筒に元の通りに仕舞いこみ、時計も椅子も元通りに戻す。
「泉の伝説……村人を食べない狼……あの教会の連中に……コレか。…平凡な村だと思っていたが、結構色々ありそうだな。…もう少し調べてみるか」
その時、玄関のほうで音がした。暫く待っていると、ヨアヒムが部屋に戻ってくる。はあ、と溜息を吐きながら扉を開け、パメラを見た途端に眉を顰めた。
「まだ居たのか」
「だって、勝手に帰っていいのかわからなかったし。戸締りとか必要でしょ?」
「そんなの心配するのか、意外だな…」
気にしなくていい、とヨアヒムは続ける。
「どうせこの家の中に大切なものなんてないんだ」
そう言い捨てると、紙とペンを取り出して何かを書き始める。
「何書いているの?」
「黎明がパメラとして生きるために必要な情報」
「…親切なのね」
「この村を壊されたくないだけだ」
そう言い、何度目かの溜息を吐いた。




――数日後、宿にて。

「でさぁ、その時アイツがああ言ったワケだ!」
「んだよ傑作だな!!俺も見たかったぜチクショウ!」
冒険者と思われる男3人がどんちゃん騒ぎをしていた。
レジーナは軽く溜息を吐く。酒を飲んで騒がしくなるのはよくあることだが、もうそろそろ黙らせたほうがいいかもしれない。ここは酒場ではなく宿なのだから、夜は静かにさせないと他の客に迷惑である。
「…全く…」
「レジーナ、あたしが行くわ」
「パ、パメラ?」
「ねえお兄さんたち、あたしも混ぜてもらっていいかしら?」
いつものようにお茶を飲んでいたパメラが突然そう言い、冒険者たちのグループに混ざった。綺麗な若い女とあれば、男たちの食いつきもよく、すぐに歓迎される。
大丈夫だろうかと心配するレジーナに、ヨアヒムは大丈夫だよ、と笑った。
「…ヨア…あんた、そんな無責任な…」
「大丈夫大丈夫。…いざとなれば、僕もいる」
バカ騒ぎをしていた男たちが少しずつ静かになっていく。それは、パメラが何かを小さな声で囁いているからだったが、レジーナとヨアヒムの位置からでは何を喋っているのか聞こえない。
そわそわし始めたレジーナをヨアヒムは大丈夫だから、と宥める。
パメラはくすくすと笑いながらそっとリーダー格の男に囁いた。
「ねえ、そろそろこんな狭いところじゃなくてもっとゆっくり出来る場所にいかない?…あたしの家とかどう?」
「誘ってるのか、姉ちゃん?」
「さあね?でもこんな田舎村じゃ出会いも何もなくて退屈なのよ」
「よし乗った。おおい、女将!金ここに置いてくぜ、邪魔したな!」
「待っ…!!」
パメラを連れて行こうとしたところで、さすがにレジーナが声をあげた。
だがそれをヨアヒムが制す。
「僕が行ってくる」
「ヨア…」
「レジーナはあの散らかったテーブルを綺麗にする仕事が残ってるしね」
ヨアヒムも宿を飛び出し、4人の後を追った。道が暗くとも、狼の目のお陰で見失うことはない。
『黎明、何を考えてる?』
『あん?聞いてなかったのか、こいつらの話の内容…』
『聞いてない。興味ないから』
『少し前に隣村でシスターをレイプしたんだと』
『!?』
『………そいつら…今、何処にいる』
割って入ってきたのはジムゾンの声だった。語気に怒りを含んでいる。
『どこでもお望みのところに連れていけるぜ?…そう、たとえば地獄にでも』
『…黄昏…?黎明…何を』
『暁、いいか。オレが指示したら狼に変身してオレたちを追いかけてこい。こいつらを森に誘導する。黄昏も来い』
『………!!食べるのか!?』
『食べるんじゃねぇ』
パメラは一度言葉を切り、闇の中自分たちを尾行しているヨアヒムをちらと振り返り。
『殺すんだよ』
そう、言い放った。




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