「…で、ここからこう…西に行った」
「あ、この町って確か…豚だっけ?有名なところだよね。美味しかった?」
「ああ。ヨアヒムにも食べさせたいと思ったな」
「…っ……」
「どうした?」
「…ねえ、そんなに僕のこと考えてたわけ?吹っ切れてないっていうか、吹っ切る気0でしょ?」
「……い、いや。…友人に、というつもりで思った。…思ったはずだ…」
「…なんだかんだで全然だめじゃん、ニコラス」
「だめって言わないでくれ…」
時計の短針は、徐々に。
下へ下へと向かっていた。
[変わらぬ気持ち 2]
地図の上をニコラスの指が滑る。
それをヨアヒムの視線が追っていた。
「…で、こっちからこう…戻ってきて、終いだ」
「5年分だから結構期待したのに。案外そんなに回ってないんだね」
「金がないからな…。街についたら仕事をして、次の場所に移動するための金を溜めて、また…という生活を繰り返していた」
「……疲れなかった?それ」
「疲れたさ。ただ、得るものも大きかったし……疲労と忙しさは、色々な考えを忘れさせてくれた」
「…………」
ニコラスが苦笑いを浮かべる。
「…で、ヨアヒムは?5年間の間に何か面白いことはなかったのか?」
「え?…うーん…この間にあったでっかい出来事って言ったらオットーの結婚…ぐらいしかなかったような…。…毎日、変わらない平和な日々だったよ」
「…そっか」
「……ニコラスがいないのは、寂しかったけどね」
「………」
「だってさ、ヤコブとオットーとカタリナは忙しいだろ?そうすると一緒にいる相手がパメラしかいないわけじゃん。たまにリーザたちとも遊んだけど。なんか…うん、女の子と2人きりだと落ち着かないんだよね…。…結局それでパメラを好きになったわけでもなかったしさ」
「…………」
「…ニコ?」
「…すまなかった、本当に」
「いいよもう。無事にまたこの村に戻ってきてくれたんだから」
ヨアヒムが笑う。
「………っ…」
「…どうした?」
「…ヨアヒム、私は君に惚れているということを忘れてないか?」
「え?忘れてないけど?」
「……あまり、そういう無防備な…笑顔とか、私に見せないでくれ。意識してしまう…」
「そ、そんなこと言われても…。楽しいことがあったら笑わないわけにいかないじゃん」
「…ああ、無茶なことを言っているな、私は……。…すまない…」
「……ニコラス、口調と背は変わったけど根っこの部分はあんまり変わってないんだよね」
「…………」
「よかった。僕の知らないニコラスになってなくて。安心したよ」
「………変わった部分もある」
「えっ?どんな所?」
ヨアヒムの手を、ニコラスがそっと持ち上げる。
何、と声に出す前に、ニコラスの唇がヨアヒムの手の甲に触れた。
「え……っ!?」
「…少し、積極的になった」
「っ…、ニコラス、やっぱり旅の途中で何かあったんでしょ!?彼女できたりとか!」
「…それはないが、行きずりで何人かと相手したことなら」
「!?…うわっ、なんだよそれ!好きでもない相手とそういうことするなんて……」
ニコラスがヨアヒムの手の甲を軽く舐め、そのままヨアヒムを見上げた。
「―――好きな相手ならいいのか?」
「…好きあってる同士じゃないとダメー!!」
「なんだ、やっぱりな」
「当たり前じゃないかっ!」
ヨアヒムが手を引っ込めてニコラスを睨む。
ニコラスはおどけたように肩をすくめた。
「固いな…。…というか、ヨアヒム。その考え方をしてて未だにオットーを思っているということは…まだそういう経験は、ないのか?」
「っ……!!…わ、悪いか!?」
「いいや?そういうのも可愛いさ」
「おっ…男に可愛いとか…!!ニコ、やっぱり旅で悪影響受けたね!?僕の知ってるニコラスじゃない!!」
「さっきと言ってることが真逆だぞ…」
「知らないよもう!」
「……はいはい。調子に乗って悪かった。怒るな」
「…………怒ってはいないけどさ…」
「でも可愛い、と思っていたのは昔からずっとだぞ?口に出したのは今日が初めてだが…」
「………」
「…そうやって、怒ったところも」
「もういいよ!……はー…。…なんかいやーな意味で大人になっちゃったなぁニコラスは…」
「褒めてるのか?それ」
「褒めてないよ」
「だろうな」
くっく、とニコラスが笑う。
それに少し怪訝そうな顔をして…ヨアヒムは少しニコラスに顔を寄せた。
「ん?」
「…ニコって強いよね」
「何がだ?」
「……だって、僕は今もオットーが好きで…ニコラスのことはやっぱり友達としか思えなくて。…そんな僕とこうやってすぐに笑ってられるなんて…」
「…………」
「僕はさ、オットーに拒絶されたとき本当に落ち込んだんだ。…その時にはもうニコラスはこの村にはいなかったから知らないと思うけど…。…誰にも言えなくて、本当に…中々立ち直れなかった」
「……」
「今でこそオットーと2人きりでもちゃんと話せるようになったけど、それでもまだ少し辛い。…パメラと一緒にいるところを見ると、尚更」
「………ヨアヒム…」
「だからニコ…」
ニコラスの手が、ヨアヒムの頬を撫ぜる。
そして、額に口付けた。
「…私だって」
「ニコラス…?」
「辛くない、わけじゃないさ…。…でも、耐える以外に術はあるか?」
「………」
「…私が辛いと言えば、ヨアヒムが私のものになるわけじゃないだろう?」
「そう…だけど」
「だったら…。…せめて今までのように振舞うさ。親友として、な」
「……ニコラス…。…あ、でも一つ言っていい?」
「何だ?」
「親友にキスはしないよね」
「口じゃないんだから、いいだろう?」
「…………」
「……口にしていいのか?」
「なっ、なんでそっちに行―――んっ…!」
軽く触れる、唇。
本当に掠めるだけのキスだったが、ヨアヒムの顔は真っ赤に染まっていた。
「―――っ…」
「……可愛いな、ヨアヒム。頬赤いぞ」
「…そ、そういうニコラスだって…っ!!」
ヨアヒムがニコラスの頬をぎゅ、とつねる。
「どう考えても僕より照れてる」
「い、いふぁい、はらせっ」
「ぶっ…!」
ヨアヒムが手を離す。すぐさまその手はニコラスに掴まれた。
「―――もう一度してやろうか?今度はもっと長く」
「え」
ぐっ、ともう片方の手でヨアヒムの後頭部を逃げられないように掴む。
「ま…まっ…ちょっと待ったニコっ!」
「自覚なく私に近づいたり顔を寄せたり煽ったりするヨアヒムが悪い」
「何それー!?…ちょっ、ほん…待っ…!!」
2人の顔が徐々に距離を詰めていく。堪忍したヨアヒムが目を閉じた、その瞬間。
ガチャ、といきなり扉が開いた。
「ただいまー」
「!!」
「!? …お、お帰り母さん!!」
大慌てで2人は離れ、声のするほうに振り返った。
「あら?ヨアがリビングにいるなんて珍し…ってあらー!ニコラス?ニコラスよね!?懐かしいわぁー、いつ帰ってきたの!?」
「あっ…お久しぶりですおばさん。えっと…今日の昼に帰ってきました」
「そうだったの!道理で皆が騒がしいと思ったわ!今日はご馳走ね?どうする?家で食べていく?」
「それなんだけどね、母さん。なんか皆が用意してくれるみたいだよ。今日はパーティだって」
「そうだったの…全然知らなかったわ!あたしも何か手伝ってこなくちゃね」
じゃあ適当な時間になったらいらっしゃい、と告げてヨアヒムの母はまた慌しく出て行った。
「…相変わらず元気だな。おばさんは」
「1人で突っ走る癖も治ってないけどね…」
ヨアヒムが苦笑いを浮かべる。
「………」
「…………ぷっ」
「…くくっ…まさかあそこで邪魔されるとは思ってなかったぞ?」
「僕のこと助けに来てくれたんだよ、母さんは!」
「なら、今からなら誰も来ないな?」
「え」
不意打ちにヨアヒムの唇を奪う。
ちゅ、と音を立て離れ…真剣な目でヨアヒムを見つめた。
「ニ、コ…」
「ヨアヒム……。…ヨアヒムがオットーを好きなことは分かっている。なのにこんなことを頼むのは私の我侭だ…」
「………」
「……今日…いや、今だけでいい……私を見てくれ…私を」
愛してくれ。
その一言と共に、もう一度、唇に触れる。
「ん…」
「ヨアヒム…好きだ。…こんな最低な私を許してくれ…」
「ニコ…ラス……っ…ふ…」
ヨアヒムの頭にぼんやりと浮かんだのは、オットーの顔だった。
今よりも若い……5年前のオットー。
好きだと伝えたとき、僕も好きだよ?と笑ってくれた。
そうじゃなくて、こういう意味でとキスをすると、笑顔は戸惑いに変わり。
やがて、少し哀れむような視線で見下ろしてきた。
『ヨアヒム、僕は君の気持ちに応えられない』
そうしてはっきりと告げられた言葉。
覚悟はしていたつもりだったけれど、それでもその言葉はひどく苦しかった。
…そう…その、後だ。
オットーは、何て言った?
何かもう一言、言った気がする。
そのときは振られたことのほうがショックで、続いた言葉には全く気を払えなかったけど。
『――ヨアヒムの近くには』
「んっ…はっ…ニコラス…待っ…て」
「………?」
「椅子からずり落ちそう…この体勢、きついよ」
椅子から立ち上がり、ニコラスの傍に立つ。
少し屈んで、視線を合わせ。
ヨアヒムのほうからキスをした。
『僕よりもずっと君に相応しい人が、いるはずだよ』
「ヨアヒム…!」
ヨアヒムの背に腕を回し、強く抱き寄せる。
ヨアヒムも応えるようにそっとニコラスを抱きしめた。
―――そっか。
―――オットーは、知ってたんだな…。…全部。
ニコラスがいなくなった後、心配する皆と違い、一人だけ憤っていたオットー。
『…なんで逃げたんだ、ニコラス』
あの言葉の意味が、…やっとわかった。
オットーは僕達を…。
「ヨアヒム…愛している、ヨアヒム……」
「……僕もだよ、ニコラス」
見開かれる碧色の目。
くす、と笑ってヨアヒムはその眦にキスを落とした。
「…いいよ。明日からのことは、また明日考えるから。…だから今日は、ニコラスのものになるよ」
「ヨア……」
「…また邪魔されるかもしれないから、僕の部屋、行こうか」
ニコラスの手を軽く握り、ヨアヒムが微笑む。
「…誘ってるのか?」
「どうとでも思えばいいよ。……のんびりしてると、僕の気が変わっちゃうよ?」
「………」
ほら、行くよ、と心なしか早口で告げてリビングを出て行くヨアヒムを、ニコラスは追った。
―――これが夢でありませんように、と祈りながら。
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