―――雲ひとつない、月の綺麗な夜。
茶髪の青年は走っていた。
月が自分の影を映し出して「それ」に居場所を教えてしまわないように、できるだけ陰を。
音が立たないように砂利道や草を避け、急げと荒くなる息の音すらも呑み込み。


青年は走っていた。
「それ」から逃げるために。



[why did you not trust me?]




ドンドンドンッ!

突然の荒々しい音にパン屋の男は目を覚ました。
「……!?」
ドンドンドン、とてもノックとは呼べないその乱暴な音は止む気配を見せない。

男の脳裏にじわりと嫌な予感が広がる。


『この村には人狼がいる』


数週間前から流れた噂。誰もが半信半疑であったが、昨日のことだ。
その噂を誰よりも信じていなかった金髪の楽天家が惨い死体となって見つかった。
まるで人狼が、噂は真実だと村人に通告するかのように。


そして村人は決断を下した。「狼を退治しよう」と。
そうして、楽天家と最後に会ったという女を処刑したのだ。




「…………っ」
男の背筋を汗が伝う。
ひょっとして今日は自分が狼に食い殺されるのだろうか。
嫌だ、そんなのは嫌だ。
逃げなければ。そう思ったとき。

激しくドアを叩く音に紛れて、声が聞こえた。


「――オットー!!開けて!助けて!!」



…あれは。
幼馴染の、青年の声。

意を決し、ベッドから立ち上がり、階段を極力音を立てぬように降りる。
玄関の扉の前まで来ると、はっきりと声が聞こえた。

「助けてオットー!…人狼がっ…!!ねぇ、オットー!いるんでしょ!?開けてよ!!」
「――――――……」

激しく打ち鳴らされるドアのノブに、そっと手を伸ばす。
が、男にはドアを開ける勇気がなかった。
――もし、ドアを開けたその向こうに人狼が、変わり果てた親友がいたら。
喰われてしまう。
怖い。

「ねぇ…いるんでしょ…?そこに…開けてよ……オットー…!」
「…っ」

助けを呼ぶ声は、徐々に弱くなっていた。

それでも震える手は、ノブに触ることすらできない。



「オットー…まさか僕を疑ってるの?…小さい頃からずっと一緒にいたのに…僕が人狼だなんて思っ―――」


青年の声を、獣の咆哮が遮った。
ドアを叩く音が止まる。
変わりに聞こえるのは。


「う…あああああああああっ!!!」






断末魔。





肉を喰らう音。
獣の吐息。
液体がはねる音。

全てを、扉1枚越しに聞いていた。

開けることも、逃げることもできぬまま。
男はその場に留まり続けていた。




―――やがて訪れる静寂。

永遠にも似た―――沈黙。




男は扉を開けることができなかった。
恐怖と罪悪感に縛られたまま、朝になるまでそこにいた。






――――――次の日の朝、青年 ヨアヒム が無残な姿で発見された。


現在の生存者は、―――13名。


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